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HP New face 3.jpg第2版:99%のための経済学入門.jpg  ようこそ、Netizen越風山房へ。ここは、わたしたち99%の平穏な暮らしをエンジョイするための情報発信サイトです。世界第3位の「経済大国」の豊かさはなぜ実感できないのでしょうか。株価と円・ドル相場・1000兆円の累積国債に振り回される経済から脱出しましょう。We are the 99% !! 1人1人が主権者です。この国のあり方は私たちが決めましょう。



3つのゼロの世界
ムハマド・ユヌス著(早川書房・定価1900円=税別)


 著者はバングラデシュの経済学者で、貧しい人々に「マイクロクレジット」と呼ばれる無担保少額事業資金を貸し出し、起業と経済的自立を支援するグラミン銀行の創設者でもある。
 本書は、一部の人の利益最大化をめざす資本主義の3つの欠陥=①貧困②失業③二酸化炭素排出=をゼロにする新たな経済を構想し、「人類の問題を解決することに力を注ぐ無配当の会社」(32ページ)による「ソーシャル・ビジネス」を提唱する。
 このビジネスを担い、「世界を変える巨大な力」になったのは、①自分たち自身の新しい世界を創造しようとする貧しい若者たち、②人類が直面する問題解決のためのテクノロジー、③すべての人のために機能する政治と社会構造=グッド・ガバナンスの構築、である。
 貧困者や「失業者を起業家に変え」、経済的自立を支援するソーシャル・ビジネスの多様な実践例は、すでに世界中で3億人以上に達している。ただ、バングラデシュやウガンダなどの国々ではこのビジネスは有効であろうが、すでに巨大独占企業・金融機関の支配が広く浸透した国々では、一定の限界をもとう。ヒト・モノ・カネの独占支配を禁止するグローバルな規制と各国政府による所得の公平な再配分と人権擁護が最優先される課題となろう。
 もちろん、「人間の無限の可能性」を信じ、「人が持つ利他的な動機をビジネスの世界に持ち込めば、解決できない問題はほとんどなくなる」(251ページ)との本書の主張は、新自由主義が荒れ狂う現代ではとくに普遍的な価値をもつといえよう。



終活期の安倍政権
二宮 厚美 著(新日本出版社・定価2300円=税別)

 ウソをつき、隠し、啖呵を切って開き直る政権の本質と目的を明快に描きだすことは、なかなか至難なことである。
 だが、本書は、この至難な課題を明快にやってのけた。事の顛末を克明に追跡しつつ、その本質をズバリ表すキーワードを開発し、構造的に描き出すことで、「安倍劇場=安倍終活物語」をなんともわかりやすく提供している。
 安倍「改憲賭博政権」は、二つのレール、すなわち、①アメリカとトランプのペット(「トランペット安倍」)になることで、国民経済と生活そっちのけの「新自由主義的グローバル大国化路線」を走り、②侵略戦争の否定とアベ式極右的な国家主義(「アベクロニズム=アナクロニズム」)から、「日本的靖国史観=歴史修正主義路線」を走る。
 異なる性格の路線が共存するのは、安倍首相の「無知と無恥」の非合理的人格と「大国への野望」にある。もし国民が事の真相を知り、理性的に対応するようになれば、「安倍終活を非業死型コースに向かわせる」ことができる。
本書は、日銀やアベノミクスの晦渋な「業界用語」の煙幕を晴らし、金融政策と経済問題の本質をやさしく深く、かつ面白く解明する。
 安倍政権の政策は、不況の原因とデフレという結果の因果関係を取り違える「アベコベミクス」である。ボタンの掛け違えで出発したので、3本の矢を連発しても、迷路と悪循環に陥り、国民を不幸にするだけである。今、必要なのは、「アベコベミクス」の対極にある福祉国家的な所得の再分配に他ならない。
 格差と分断に引き裂かれた現代日本の政治・経済・社会問題を広く深く理解し、明日を展望するための必読の書である。



代田純著『日本国債の膨張と崩壊』
(文眞堂・定価2200円=税別)

 日本はほぼ1千兆円の国債発行残高を抱える一方、1京(京は兆の1万倍)円を超える国債売買取引に沸く世界でもまれな「国債大国」である。本書は、複雑で国民の目のとどきにくい財政金融制度やデータを丹念に読み解き、国債膨張の背景と国債暴落のリスクを浮き彫りにする。
 国債発行は税収以上の予算を組むからだ。なぜ税収が足りないかといえば、受取配当金を課税対象の利益に含めない益金不算入制度などによって、大企業など法人の7割が法人税を払っておらず、個人所得税の最高税率の大幅な引き下げ(75%から37%)などで、富裕層からの税収も激減してきたからである。
 本来財政法で禁じた国債だが、法の拡張解釈や60年間かけ国債を償還するという、他国に例を見ない先送りのルールによって、安易に発行されてきた。日銀の国債買いオペは、発行される国債のほとんどを日銀が買い取るほど巨額なため、国債の増発を支えてきた。
 増発された国債は、民間金融機関・海外投資家・日銀の間でさかんに売買され、市場関係者に国債ビジネスで各種利益を提供する一方、日銀の損失・財政赤字・国民負担が深刻化している。
 今後、アベノミクスの屋台骨になってきた日銀の国債買いオペの限界、日銀の赤字転落、国債市場を主導する海外投資家の国債売り逃げにより、国債価格が暴落し、長期金利が暴騰(国債を買ってもらうには金利を高くする必要がある)すると、財政は破綻し、各種国民負担が激増することになろう。日本の深刻な財政金融問題のこれまでと今後を解明したのが本書である。



新自由主義と金融覇権
萩原伸次郎 著(大月書店・定価2900円=税別)

 「アメリカファースト」に邁進するトランプ大統領の登場は、アメリカ国内だけでなく、世界各国を振り回している。本書は、アメリカとその対外戦略を読み解くうえで、時期に適した好著といえる。
 本書のテーマである「金融覇権とは、金融を基軸に世界経済を支配する体制」(二六ページ)であるが、トランプ政権は財務長官などにウォール街の覇者ゴールドマン・サックス出身者を多数任命している。
 現代の「新自由主義的金融覇権」の源流は一九七一年八月以降の変動相場制への移行にある。その背景は、多国籍企業・銀行によるユーロダラー市場における資金調達と運用にあった。その後、レーガン・クリントン政権をへてアメリカの金融覇権が確立していく。
 だが、それは、実体経済ではなく、株式などの金融資産の動向に消費や投資が影響を受け、「雇用なき景気拡大」、貧困と資産格差の拡大、一%による富の独り占めに結果した。その矛盾がブッシュ政権末期のリーマン・ショックとなって爆発する。世界は大不況に陥り、社会的な摩擦が高まった。
 他方で、「金融覇権」に反対し、富裕層と大企業への課税強化などを提案する「サンダーズ旋風」も吹き続けている(三一二=一五ページ)。
 本書をわかりやすくしているのは、個々の経済政策の解説ではなく、政策の背後にいるアメリカの多国籍企業と金融機関の資本蓄積行動を踏まえながら、現代の支配的な政策潮流になった「新自由主義と金融覇権」をめぐる諸問題を解明しているからである。
 トランプのツイットに振り回されないためにも、一読を薦めたい。


プライベートバンカー
清武英利 著(講談社・定価1600円=税別)

 「パナマ文書」が明るみに出したのは、世界の大企業・権力者・富裕層の租税回避の実態であった。
 本書は、シンガポールというアジアの身近な租税回避地を舞台に、日本人富裕層の租税回避を手助けし、かれらの資産管理と運用を仕事にする「カネの傭兵」=プライベートバンカーを追ったノンフィクションである。
 登場する人物も企業もすべて実名であり、マネーに全身全霊で寄り添う人々の来し方行く末を描きだす。主人公の杉山智一は、顧客の利益より会社の利益を優先する金融業界に反発し、ヘッドハンティングを介して、海外のシンガポール銀行に転職する。ここでも過酷な現場が待っている。
 顧客は、日本の大企業経営者、IT長者、不動産業者、自営業者、女優などである。なかには、相続税やキャピタルゲイン課税を回避するために、永住権をカネで買い、シンガポールで暮らす者もいる。
 数十億から数百億の資産を保有し、最高級コンドミニアムに住むかれらは、ありあまる時間に退屈し、プールサイドで読書し、ジムに通い、高級車を乗り回しているが、必ずしも幸福とはいえないようだ。家族は日本の方が良いと、さっさと帰国し、家庭が崩壊する例もある。
 昨今、貧困格差が拡大する一方、アベノミクスはバブルを膨張させ、ハイリスク=ハイリターンのカジノ型金融ビジネスが推奨される。純金融資産を1億円以上保有する富裕層は、200万人を上回る。書店の店頭ではFX取引などが、ネットを利用する若者たちを誘っている。
 本書は、そのような風潮に警鐘を鳴らしているようである。


『上毛新聞』:闘論 <消費税増税反対>「大企業が応能負担を」
2017年10月17日

-消費増税に対する主張は、与野党間で真っ向から対立している。
 私は消費税に反対の立場だ。理由の第一は国民生活への影響が大きいこと。1997年以降の20年間で、民間企業の平均賃金は年467万円から421万円に減り、所得の中で個人が消費と貯蓄に回せる可処分所得も48万円から41万円へと減った。この数字は、深刻な消費不況が現在も続いてることを物語っている。増税すれば、99%の国民には悪影響が生じるはずだ。

 -与党はアベノミクスの成功を強調している。
 -私が消費税に反対するもう一つの理由は、アベノミクスが円安・株高のバブル景気であるためだ。第二次安倍政権の誕生以降、確かに株価は2倍になったが、それは大企業と富裕層が株式資産を倍増させたということでしかない。大多数の国民は超低金利預金を強いられ、アベノミクスの実感を得られていない。結果的に格差と貧困の問題も、年々深刻化している。

 -1千兆円を超える財政債務はどうやって解消すべきなのか。
 消費税導入と前後して、国内では大企業や富裕層を優遇する税制が取られてきた。例えば大企業に対する法人税率は1986年の43・3%と比べ、2016年には23・4%まで下がった。これらの結果として、大企業の内部留保金は400兆円にまで達している。企業が設備投資や賃金の拡充に使おうとしないこの金に、1%課税するだけで4兆円。消費税は1%の増税で約2兆円の増収とされるから、10%への増税分を賄える。富裕層の所得税も同様に軽減が続き、純金融資産は272兆円に上る。これも課税対象とすべきだろう。このように税を負担する能力があるところに課税する「応能負担」によって、財政再建の道は開けると考える。

 -「消費税は必要だ」と、漠然と考える国民が多いのではないだろうか。
 政府の説明を信じてしまう国民が多いことは、経済学は難しいとネガティブに考える人の多さとも関連している。しかし、日本経済の担い手は、消費と生産に携わる国民一人一人だ。だからこそ、今回の選挙の争点である消費増税というテーマを身近に感じ、主体的に考えて行動してほしい。主権者として、この国の将来を左右する衆院選に1票を投じることは、自分自身が経済の担い手だと実感するための、またとない機会となるはずだ。


しんぶん赤旗経済部著『軍事依存経済』新日本出版社・本体価格1500円=税別

 アベノミクス(安倍政権の経済政策)は、異次元金融緩和政策に衆目を引きつけているが、じつはもう一つの危険な顔を持つ。それは、憲法九条を空文化し、武器輸出と経済の軍事化を加速させ、日本経済を「軍事依存経済」に大転換する顔である。
 軍事経済は、物資の再生産外消耗であり、消費産業と国民生活を破壊する一方、軍需産業には超過利潤をもたらす。
 本書は、机上のデータや文書だけに頼らず、現地調査と関係者への取材を通じて、軍事依存経済の生々しい実態を描き出している。
 本書の構成は以下の通りである。
 Ⅰ部 戦中を誇る軍需産業
 「戦争のできる国づくりに突き進む安倍晋三政権のもとで、日本最大の武器メーカーである三菱重工の動きが活発化」している。
 武器輸出が解禁され、防衛予算も戦後最高の5兆円超になり、巨大軍需企業は「戦前型経済への逆戻り」のなかで、「死の商人」の暴利を追及しはじめた。
 Ⅱ部 戦後の軍需産業の起源
 第二次大戦後に解体された日本の軍需産業は、朝鮮戦争にともなう「米軍特需」によって兵器工場を再建し、復活した。
 その後、旧陸海軍の軍人をメンバーとする経団連の「防衛生産委員会」が設置され、直接米国と交渉し、その指示のもとで日本政府を動かし、自衛隊・防衛庁が設置され、「防衛力整備計画」が決定されていく。
 Ⅲ部 商機に沸く軍需産業
 安倍政権下、2015年10月の防衛装備庁の新設は、軍需産業と政府が一体になって、世界の50兆円武器市場に本格参入する体制を整備した。
 10年先の兵器を「まとめ買い」できる長期契約法は、軍需産業の安定的な経営基盤を整備した。防衛予算と後年度負担の増大は、社会保障など生活関連予算を食いつぶす。
 Ⅳ部 溶け込む軍産学
 文教予算と研究費が削減される一方で、防衛予算が大学に向かい、潤沢な研究費を提供する見返りに、軍事技術の研究を迫っている。研究者の良心を刺激しないように、軍事用と民生用の「デュアルユース政策」で誘導する。
学問研究の自由が侵害され、大学・研究機関が防衛省と軍需産業の下請け機関化しつつある。
 Ⅴ部 岐路に立つ宇宙開発
 2015年1月の「第三次宇宙基本計画」の目的は、「宇宙安全保障の確保」、つまり通信・情報収集などの宇宙システムを米軍と自衛隊が優先的に軍事利用することを銘記した。
現代の戦争は、「宇宙を拠点にしたネットワーク中心型戦争」であり、GPSを利用した米軍の無人機攻撃は、2002年以降1021回に達し、7538人が殺害された。日本の軍需産業はこんな宇宙開発という新しい市場に参入した。
 このように、本書は、「軍事依存経済」へ舵を切った現代日本経済の変容を知るうえで、必読の書といえるであろう。


柴田努+新井大介+森原康仁 編
図説 経済の論点(旬報社・定価1500円=税別)

 アベノミクスが走り出し、長期化する不況・暴走するマネー・増発される国債と財政赤字・拡大する格差など、国民生活と国民経済は崖縁に立っている。
 どうしてこうなったのか。市場原理主義と新自由主義に染まった昨今のメディアはマーケットと相場の解説にうつつを抜かすだけで、根本的な問題に答えてくれない。だが、本書はその解答を提示した。本書は、理論とデータの双方にわたる丁寧な仕事の積み重ねの上に到達した現代経済への最適の入門書である。表現も、「ですます体」で親しみやすい。
 本書の構成は以下の通りである。
Ⅰ 序章 現代不況論への視角
Ⅱ 不況をどうみているか
Ⅲ 不況対策とはなにか
Ⅳ 不況はどうして起きたか
Ⅴ 通貨膨張の仕組み
Ⅵ 為替と株価の動き
Ⅶ 国債はどうなっている
Ⅷ 金融資産の膨張
Ⅸ 終章 総括ー展望にかえて
 以下、各章の内容を紹介しておこう。
 全体を貫く本書の視点は、「現代不況が経済の金融化の状況下で発生しており、労働環境や地方の生活環境を弱体化させているところに,根本要因をみるという視点」である(Ⅰ 序章)。いわば、暴走するマネー経済の本質を深掘りすることによって実体経済の金鉱脈を探り当て、それを平易に誰にでもわかるように料理して見せてくれた。
 アベノミクスは、公共事業の大盤振る舞いのケインズ主義、金融政策に偏したマネタリズム、成長戦略は新古典派のごった煮である。本書は資本主義経済の本質に根ざし、それぞれの理論の特徴を優しく解明し、メディアによって曇りガラスを付けられた私たちの視野から、その鱗を取り外してくれる。アベノミクスとは、金融緩和を優先し、財政規律や実体経済を無視した「危ない試み」にほかならない(Ⅱ 不況をどうみているか)。
 本来、不況対策には、失業対策など失業者を直接救済する方策があるが、現政権は、金融政策と財政政策に偏倚する。だが、金融緩和を行っても、その効果は証券市場への投機マネーを活発化させるだけであり、法人税を減税し、消費税を増税する財政政策は、国民の消費需要を引き下げ、不況を長期化させる(Ⅲ 不況対策とはなにか)。
 そもそも現代の不況の真因は、利潤追求を最優先した賃金の切り下げと雇用・生活環境の破壊にあり、このような消費需要の減退が不況の最大の要因である。事実、毎月現金給与総額は、2001年から12年までの11年間で、35万6000円から31万40000円まで、約4万円12%も下げられた。(Ⅳ 不況はどうして起きたか)。
 日銀に無制限にお札を刷らせてデフレを克服する、といった議論があるが、これは通貨膨張の仕組みについての無知からくる謬論である。日銀が政策的に変動させることのできる通貨は、日銀が民間金融機関に供給する通貨(マネタリーベースと表現)の量だけである。民間金融機関からさらにその先の実体経済(企業や家計)に供給される通貨(マネーサプライ、近年ではマネーストックと表現)の量は、日銀と金融政策では動かすことができず、企業や家計など実体経済サイドが銀行借り入れや預金口座から現金を引き出すなどの形でしか増大しない。
 アベノミクスの異次元金融緩和政策は、マネタリーベースを異常に増大させたが、実体経済(GDP)に直結したマネーサプライは伸びていない。それは、不況のために企業や家計サイドの借り入れ需要が低いことと不良債権を嫌う銀行の貸し渋りの結果である。不況は金融政策では治癒できないのだ。
 いったい何のための金融緩和政策なのか、その効果が疑われるが、日銀から金融機関に供給されたじゃぶじゃぶの通貨が向かった先は、政府の発行する国債の購入である。これによって金融機関は国債ビジネスで一稼ぎでき、政府も国債を増発できる、といった危うい関係が成立している(Ⅴ 通貨膨張の仕組み)。
 円安を望む輸出産業に対して、輸入産業は円高を望む。要するに、輸出入が均衡していれば、為替相場の安定は一国経済全体で見れば中立的で、善し悪しはない。外需依存の日本経済は、輸出による雇用確保が輸入国での失業増加となり、対外経済摩擦を引き起こし、国内では国際競争力を維持するためにコスト削減・賃金の引き下げが断行される。そのうえ、貿易黒字が国内に投資されず、アメリカや東南アジアに環流されるので、国内経済は疲弊する事態に陥っている。他方で、株価の変動に景気の浮沈を見る報道が目に付くが、一方の利益は他方の損失のゼロサムゲームなので、なにも経済的価値が生み出されているわけではない(Ⅵ 為替と株価の動き)。
 国の借金にあたる国債は、現在ほぼ1000兆円に達し、日本財政は破綻の危機にある。他方で、証券の形をとる国債は、政府の徴税権をバックにした安全・確実な金融商品であり、金融機関などの国債投資家に対して利殖の機会を提供している。日銀の国債買いオペに支えられた国債の増発は、通貨の信用を毀損し、インフレと国民生活の破綻をもたらしかねない(Ⅶ 国債はどうなっている)。
 株式、国債、預貯金などの金融資産が急激に膨張し、現在ほぼ5720兆円に達しているが、金融資産の借り手側には同額の金融負債が対応しており、合計するとゼロになるので、富の蓄積を意味していない。だが、将来所得への分配権を意味する金融資産に向かって、利殖を求める過剰な資本が投資され、経済の金融化を促進し、そのことが経済的価値を生み出す実体経済の衰退を招いている(Ⅷ 金融資産の膨張)。
 本書を読めば、現代の経済問題がわかる、明るくなる、世界が見える。


金子貞吉 著
現代不況の実情とマネー経済(新日本出版社・定価1800円=税別)

 アベノミクスが走り出し、長期化する不況・暴走するマネー・増発される国債と財政赤字・拡大する格差など、国民生活と国民経済は崖縁に立っている。
 どうしてこうなったのか。市場原理主義と新自由主義に染まった昨今のメディアはマーケットと相場の解説にうつつを抜かすだけで、根本的な問題に答えてくれない。だが、本書はその解答を提示した。本書は、理論とデータの双方にわたる丁寧な仕事の積み重ねの上に到達した現代経済への最適の入門書である。表現も、「ですます体」で親しみやすい。
 本書の構成は以下の通りである。
Ⅰ 序章 現代不況論への視角
Ⅱ 不況をどうみているか
Ⅲ 不況対策とはなにか
Ⅳ 不況はどうして起きたか
Ⅴ 通貨膨張の仕組み
Ⅵ 為替と株価の動き
Ⅶ 国債はどうなっている
Ⅷ 金融資産の膨張
Ⅸ 終章 総括ー展望にかえて
 以下、各章の内容を紹介しておこう。
全体を貫く本書の視点は、「現代不況が経済の金融化の状況下で発生しており、労働環境や地方の生活環境を弱体化させているところに,根本要因をみるという視点」である(Ⅰ 序章)。いわば、暴走するマネー経済の本質を深掘りすることによって実体経済の金鉱脈を探り当て、それを平易に誰にでもわかるように料理して見せてくれた。
 アベノミクスは、公共事業の大盤振る舞いのケインズ主義、金融政策に偏したマネタリズム、成長戦略は新古典派のごった煮である。本書は資本主義経済の本質に根ざし、それぞれの理論の特徴を優しく解明し、メディアによって曇りガラスを付けられた私たちの視野から、その鱗を取り外してくれる。アベノミクスとは、金融緩和を優先し、財政規律や実体経済を無視した「危ない試み」にほかならない(Ⅱ 不況をどうみているか)。
 本来、不況対策には、失業対策など失業者を直接救済する方策があるが、現政権は、金融政策と財政政策に偏倚する。だが、金融緩和を行っても、その効果は証券市場への投機マネーを活発化させるだけであり、法人税を減税し、消費税を増税する財政政策は、国民の消費需要を引き下げ、不況を長期化させる(Ⅲ 不況対策とはなにか)。
 そもそも現代の不況の真因は、利潤追求を最優先した賃金の切り下げと雇用・生活環境の破壊にあり、このような消費需要の減退が不況の最大の要因である。事実、毎月現金給与総額は、2001年から12年までの11年間で、35万6000円から31万40000円まで、約4万円12%も下げられた。(Ⅳ 不況はどうして起きたか)。
日銀に無制限にお札を刷らせてデフレを克服する、といった議論があるが、これは通貨膨張の仕組みについての無知からくる謬論である。日銀が政策的に変動させることのできる通貨は、日銀が民間金融機関に供給する通貨(マネタリーベースと表現)の量だけである。民間金融機関からさらにその先の実体経済(企業や家計)に供給される通貨(マネーサプライ、近年ではマネーストックと表現)の量は、日銀と金融政策では動かすことができず、企業や家計など実体経済サイドが銀行借り入れや預金口座から現金を引き出すなどの形でしか増大しない。
 アベノミクスの異次元金融緩和政策は、マネタリーベースを異常に増大させたが、実体経済(GDP)に直結したマネーサプライは伸びていない。それは、不況のために企業や家計サイドの借り入れ需要が低いことと不良債権を嫌う銀行の貸し渋りの結果である。不況は金融政策では治癒できないのだ。
 いったい何のための金融緩和政策なのか、その効果が疑われるが、日銀から金融機関に供給されたじゃぶじゃぶの通貨が向かった先は、政府の発行する国債の購入である。これによって金融機関は国債ビジネスで一稼ぎでき、政府も国債を増発できる、といった危うい関係が成立している(Ⅴ 通貨膨張の仕組み)。
 円安を望む輸出産業に対して、輸入産業は円高を望む。要するに、輸出入が均衡していれば、為替相場の安定は一国経済全体で見れば中立的で、善し悪しはない。外需依存の日本経済は、輸出による雇用確保が輸入国での失業増加となり、対外経済摩擦を引き起こし、国内では国際競争力を維持するためにコスト削減・賃金の引き下げが断行される。そのうえ、貿易黒字が国内に投資されず、アメリカや東南アジアに環流されるので、国内経済は疲弊する事態に陥っている。他方で、株価の変動に景気の浮沈を見る報道が目に付くが、一方の利益は他方の損失のゼロサムゲームなので、なにも経済的価値が生み出されているわけではない(Ⅵ 為替と株価の動き)。
 国の借金にあたる国債は、現在ほぼ1000兆円に達し、日本財政は破綻の危機にある。他方で、証券の形をとる国債は、政府の徴税権をバックにした安全・確実な金融商品であり、金融機関などの国債投資家に対して利殖の機会を提供している。日銀の国債買いオペに支えられた国債の増発は、通貨の信用を毀損し、インフレと国民生活の破綻をもたらしかねない(Ⅶ 国債はどうなっている)。
 株式、国債、預貯金などの金融資産が急激に膨張し、現在ほぼ5720兆円に達しているが、金融資産の借り手側には同額の金融負債が対応しており、合計するとゼロになるので、富の蓄積を意味していない。だが、将来所得への分配権を意味する金融資産に向かって、利殖を求める過剰な資本が投資され、経済の金融化を促進し、そのことが経済的価値を生み出す実体経済の衰退を招いている(Ⅷ 金融資産の膨張)。
 本書を読めば、現代の経済問題がわかる、明るくなる、世界が見える。



福光 寛著
『金融排除論—阻害される消費者の権利と金融倫理の確立—』
(同文舘出版・本体価格1800円=税別

 周知のように、一九八〇年代からのわが国の金融規制緩和・金融ビッグバンは、当初の目的をほぼ完了し、近年、その弱肉強食の結果がはっきりと現れてきた。大衆投資家や消費者の権利や利益が抑圧され、経済的リスクがしわ寄せされてきている。
 こうした現状を目前にして、著者は、つぎのように問題を提起する。「今から一〇年ほど前に私は『金融規制緩和の経済学』(日本経済評論社、一九九〇年)という本を出版しました。そのとき私は金融規制緩和に対置できる言葉と知識をもたなかったために金融規制緩和を十分批判的に分析できませんでした。金融規制緩和がもたらす不安定さを漠然と指摘したに止まりました。
 社会事象の分析では分析のための言葉や比較できる知識を持っているかどうかは、分析内容の決定的な違いにつながります。こうした反省から、金融規制緩和にまさに対抗する概念・視点になりうる金融排除論を、大事に育ててゆく必要があることを痛感しています。」(「はじめに」)。
 ここで、新しいキーワードになっている「金融排除financial exclusion」とは、「社会でもっとも弱い人々が金融サービスから排除される現象」(英米での当初の意味)を指すが、著者は、もう少し日本の現状に敷衍して、日本型の金融排除について、金融詐欺、不公平な扱い、金融当局の無責任行政など、広く消費者の権利や利益が抑圧されている現状に求めている。
 いうまでもなく、私たちの経済生活は、さまざまな金融サービスや金融インフラに支えられて成り立っている。電気・ガス・水道などの料金支払いが銀行の預金口座を介して行われているだけでない。貯蓄大国の日本では、銀行・証券会社・保険会社などの金融機関のもとに、一〇〇〇兆円を超える個人金融資産として積み上がっている。もし、これらの金融資産が詐欺にあったり、不当な差別を受けたり、責任と原因が不明のまま目減りしたり、金融行政の失敗により損失を被るようでは、安定した経済生活はおぼつかなくなる。「金融に関する個人の権利」が保証される必要がある。
 そこで、本書は、「阻害される消費者の権利」を擁護し、「金融倫理の確立」を呼びかける。
本書の構成は、以下の三部・七章からなる。「第一部 英米における金融排除論 第一章 英国における金融排除論 第二章 米国におけるレッドライニング論 第二部 日本における金融排除論 第三章 金融機関の破綻と家計の過重債務 第四章 顧客と金融機関の利害対立 第五章 金融取引の実態—プリンストン債事件— 第三部 金融排除を超えて 第六章 銀行システムの現状と未来 第七章 金融機関の倫理」である。
 「第一部 英米における金融排除論」では、そもそも「金融排除financial exclusion」という概念が、いついかなる意味で登場してきたのかについて、イギリスとアメリカの文献サーベイを行っている。
イギリスでは、ビッグバン以後一〇年ほどたった一九九〇年代の前半に使用されはじめ、本来、社会政策の用語で、貧しい人々や地域が社会から排除される「社会排除」という言葉の応用として、「金融排除」の概念が登場したとする。
 なお、アメリカでは、すでに一九六〇年代に、人種差別問題に関連した「レッドライニングredlining」(金融機関が非白人居住地域を赤線で囲って融資を差別するという意味)論が議論されていたが、結果的には、イギリスで登場した金融排除論は、これに先立ったアメリカでのレッドライニングの議論の成果も受け継いでいる、と整理する。
 「第二部 日本における金融排除論」では、英米的な意味での金融排除論の意義と限界を踏まえつつ、日本の現状に即した日本型の金融排除論を積極的に提起する。
 たしかに、日本では、低所得層が金融機関のサービスから排除されるような英米的意味での金融排除は少ない。むしろ、日本の消費者は、過剰で危険な金融サービスに巻き込まれ、リスクの高い金融商品を買わされて損失を受けたり、高金利の消費者ローンで自己破産に陥ったり、金融機関の破綻により損害を被ったり、といった事態に遭遇している。
 著者は、現に販売されているリスクの高い金融商品や金融取引の現状を紹介しつつ、日本では、金融機関と顧客の利害対立が深刻であり、「顧客の視点に立たず、賭博としかいいようのないリスク商品に顧客を誘導しようとする一部の銀行・証券幹部の傲慢さには、徹底した消費者軽視の姿勢、非人間性が感じられる。」(七五ページ)、と厳しく指摘する。「金融に関する個人の権利」が剥奪されている現状、繰り返される金融機関や企業の金融不祥事を、日本型の金融排除の現象形態と分析している。
 「第三部 金融排除を超えて」では、日本の金融排除に対する行政サイドや金融機関の取り組みが不十分であり、消費者の自己責任を中心にした「日本の金融ビッグバンは消費者保護が未完成のため業者のためのビッグバンになってしまった。」(一六八ページ)、と指摘する。
 この指摘は、正鵠を射る。消費者や市民の権利と利益に沿った金融経済システム改革は、日本では、むしろこれからといえる。そして、日本の現状に即して、市民や消費者の権利を踏まえた新しい金融経済システムを本格的に実現しょうとしたとき、はたして著者のいう「金融排除論」がどれほどの射程と内容をもってこの作業に貢献することになるのか、それが次に問いかけられることになるであろう。
 本書は、とかく「専門的」で狭隘で、業者や業界よりになりがちな現代日本の金融問題について、広く国民や消費者の視点で解析しようとしている点で、包括的であり、積極的な意義をもつ。残念ながら、わが国では、こうした問題把握は、欧米に比べてきわめて遅れていた。本書は、「金融排除」という新しい概念と視点を提起することで、こうした溝を埋めようとしている。
 本書は、内外の活字媒体の論文・書籍だけでなく、インターネットを利用して、多方面にアクセスし、その資料収集や情報処理の点で、意欲的な姿勢を見せている。今後、こうした問題にアプローチする際にも貴重な情報と資料を提供している、といってよい。


山家悠紀夫 著暮らし視点の経済学ー経済、財政、生活の再建のためにー(新日本出版社・定価1800円=税別)

 近年の「構造改革」・「リーマンショック」・「東日本大震災・原発汚染」は、日本の経済社会を未曾有の困難に陥れた。この困難から脱却するには、過去の経済システムや社会のあり方を根本的に見直し、経済、財政、生活を再建することなしに不可能である。 本書は、この課題に積極的に切り込む。いま、日本は、三つの重要な課題、すなわち、1.「脱原発社会への道」をつけ、2.「災害からの復旧、地域の復興」を実現し、3.「暮らしの再建と日本経済の建て直し」に邁進する課題(序章)、に直面している。 これらの三つの課題のうち、脱原発と災害復興の課題については、原発事故は予知されていたこと、原発がなくとも電気は足りていること、世界は脱原発と自然エネルギーに舵を切っていることを指摘し、災害復興にあたっては、主役は被災者と被災地の人々であり、国や大資本が上から上意下達式に行うべきでない、と提案する。データの裏付けをともなった指摘と提案には説得力がある。 本書の大半を費やし、探求しているのは、「暮らしの再建と日本経済の建て直し」の課題である。周知のように、ここ十数年で私たちの暮らしは非常に厳しくなっている。中国に抜かれたとは言え、日本は世界第三位の「経済大国」である。だが、賃金は下がりつづけ、経済的な理由などから毎年三万人もの自殺者を出し、生活保護世帯数は、終戦後の水準まで上昇し、会社をいつリストラされるかわからない不安、将来へのさまざまな不安など、日本社会には、重く厚い暗雲が垂れこめている。 どうしてこんな暗雲の下で暮らすことになったのか、本書は、「構造改革」政策の間違いとそのツケこそが今日の暗雲をもたらした原因であり、つづく「リーマンショック」は、事態をさらに深刻化させてしまった、と指摘する。この暗雲を取り払ってくれる期待を込めて、先の選挙で国民は、民主党新政権を選択したが、その期待は見事に裏切られ、当初掲げられた「国民生活第一」の政策は、旧政権時代と同じ「成長第一」の政策に取って代わってしまった。 では一体どうしたら良いのか。著者の基本的な視点は、以下の一文から明らかである。すなわち「暮らしが厳しくなっていることと、日本経済が国内需要不振・輸出依存型の経済になっていることとは密接に結びついている、その根は一つである・・・賃金が上がらないから消費が増えない、消費が増えないから国内需要が不振に陥っている、単純なことです。従って、解決も単純です。賃金を上げればよろしい。・・・賃金が上がるような経済構造に戻せばよろしい、ということです。」(三五〜三六ページ)。 この切り口は、明解であり、正鵠を得ている。「暮らし視点の経済学」という本書のタイトルの真骨頂である。 以下、各章の内容を紹介しておこう。 第一章「構造改革」政策下の日本経済ー「構造改革」とは、「企業が儲かるような経済構造にする政策」(三九ページ)、と喝破する。これは、その後の事態によって証明された。大企業の利益は増大するが、雇用は生まれず、賃金は低下し、消費も萎縮する経済構造が形成されているからである。また政府の不良債権処理対策も問題を深刻化させた。不良債権の中身は、銀行の貸出金であり、これを処理することは、借り手の企業を倒産させ、不況を深刻化させる、との基本認識が政府に欠落し、不良債権対策を推進することで、経済不況をより深刻化させてしまった。 第二章サブプライム問題・リーマンショックと日本経済ー貧しい人の住宅を手玉にとって世界のお金持ちがマネーゲームに明け暮れ、その失敗が世界経済と日本経済に大不況をもたらした。アメリカ中心の経済構造と輸出依存型の日本経済を転換し、国内需要の育成、家計部門、福祉部門への資金配分を優先することが、不況脱出の道である。 第三章大不況下の経済政策ー戦後最大の落ち込みを記録した二〇〇九年の日本経済のもと、「官庁要求、財界要求を丸呑み」(一三五ページ)した一五兆円の超大型補正予算を組んだ麻生内閣だが、景気は全く回復しなかった。 第四章民主党政権の誕生・変質と人々の暮らしー「国民生活第一」の政策を掲げた新政権の誕生の背景には、構造改革で押しつぶされた暮らしがあった。だが、民主党自身の旧政権的、市場主義的な体質に加え、構造改革と市場原理を優先するアメリカ・財界・官僚・マスコミの壁の前に縮んでしまい、所期の政策を放棄してしまった。 重要なのは、新しい日本のための政策を高く掲げ、最低賃金を引き上げ、派遣労働を規制し、週四〇時間で暮らせる社会をめざすことである。 終章財源問題を考えるー一〇〇〇兆円の政府債務を抱えた財政赤字大国の日本であるが、消費税に依存せず、震災復興や社会保障充実の財源は十分存在する、と主張する。まず政府の金融資産や二五一兆円に積み上がった対外純資産を活用する。軍事費などの削減、大企業への増税、金持ち減税の廃止、高額所得者の負担を重くする所得税増税、などで十分財源は調達できる。 やってはいけない政策は、インフレ物価高を招く国債の日銀引受であり、消費税の増税である。とくに消費税増税は、大企業や高額所得者を優遇し、政府にとっても税収を安定させる都合の良い税金だが、中小零細企業や一般庶民にとっては負担が重くのしかかる厳しい税であり、消費を抑制し、景気を悪くする結果をもたらすからである。本書は、問題が山積し、押しつぶされそうな三・一一後の日本経済を、「暮らし視点」から再建する道を提起し、未来への展望を示す。


合田寛『検証 日本の金融政策』
(大月書店、1995年6月、全251頁、2800円=税別


 周知のように、1986年から89年にかけて、日本経済は、未曾有のバブルの大波にあらわれた。わずか4年間に、土地・株式の売却益(キャピタル・ゲイン)は1700兆円にも達した。日本列島の地価総額も、アメリカ合衆国の4〜5倍にも膨張した。財テク・マネーゲーム(金融投機活動)が隆盛をきわめ、「カジノ資本主義」ニッポンが出現した。一転して、90年初のバブル崩壊以後、多大なリスクが国民諸階層に大規模に転嫁され、深刻な不況の長いトンネルに入り込んでしまった。平成不況といわれる今期の不況は、その背景と原因を探ると、「金融不況」ともいうべき性格を携えている。
 こうして、金融問題や金融政策は、いまや日本経済や国民生活のあり方にとって、最重要の経済問題になってきている、といってよい。本書の目的は、多数の国民の利益を擁護する立場から、本来の金融活動のあり方を踏まえつつ、戦後の金融政策や制度を検証し、今後の政策や制度のあり方を展望することにおかれている。

 最初に、本書の目次と構成および基本的な分析視角といったものを示しておこう。
 本書は、2部から構成されている。「第Ⅰ部 戦後日本の金融政策」では、「1 戦後金融制度の枠組みの確立(1945〜54年)」、「2 高度経済成長と低金利政策(1955〜70年初頭)」、「3 変動相場制移行と低成長(1970年代)」、「4 金融自由化と国際化(1980年代以降)」の順で、戦後の金融政策や制度を歴史的に検証する。つづいて、「第Ⅱ部 今日の金融問題と政策」では、「第1章 バブルと金融自由化」、「第2章 金融制度改革とユニバーサル・バンクへの道」、「第3章 金融機関に対する規制・監督と今後の課題」、「補論 半世紀ぶりの保険業法改正」、の各章から構成され、現代日本の金融問題の中心的なテーマを取り上げている。
 本書の基本的な視角は、次の点にある。すなわち、「金融は、本来、社会の貯蓄と投資を結び付け、個人や一企業の資金的制約を取り払って、社会に有用な生産活動を推進する役割をもつものであり、きわめて公共性が高く、その社会的役割も大きい。しかも金融は、たんに資金を媒介するだけでなく、あらたな信用を創造し、またカネがカネを生む独自の運動を展開する。そうなると、金融が投機の手段として利用されることになる。・・・したがって、金融に対する社会的規制はきわめて重要であり、これを市場原理のもとにおき無制限な自由化と規制緩和政策をすすめることはまちがっているものといわなければならない。」(「まえがき」より)
 なお、本文中には、逐次、脚注が振られ、エポック・メイキングとなった個々の問題の背景に触れ、ときどきの国会での議論や法案・各種の答申についても詳細に紹介している。とはいっても、本文の論旨は明快であり、流れがあり、読みやすいものとなっている。
 以上のような目次と構成からも明かのように、本書を類書と区別しているのは、たとえば、「第3章 金融機関に対する規制・監督と今後の課題」といった現実的な金融政策の執行者の視点からもメスが入れられていることであり、また「補論 半世紀ぶりの保険業法改正」のテーマのように、保険論と金融論の境界領域に位置する問題についても、国民の利益を擁護する立場から、果敢に取り組んでいることである。
 こうしたテーマ設定や問題の切り口は、著者が参議院政策秘書として日ごろ国会での政策の立案にかかわる仕事をされているからであり、また議論の裏付けとなる多方面にわたる豊富な資料に接しているからでもあろう。いわば、「空理空論」や研究者の陥りがちな狭隘な「問題意識」からではなく、複雑かつ露骨な利害関係の錯綜する現実問題として、いままでの金融政策や制度にはどのような問題があったのか、また今後いかなる政策や制度が求められているのかについて、キチンとした裏付けをもって「検証」している点に、類書にはない本書の大きな特徴を見いだすことができるのである。
 書評にあたって、この点をあえて強調したいのは、昨今、書店の店頭に洪水のように押し寄せる金融関係書や規制緩和一色のマスメディアにおいては、驚くほど現実を無視した、その深刻かつ悲惨な帰結を省みない「市場原理万能主義」ともいうべき「空論」や各種の政策提言が大手を振ってまかり通っている現代日本の危険な風潮に、本書が鋭い一矢を投げかけているからにほかならない。

 以下、本書の内容を紹介しよう。
 「第Ⅰ部 戦後日本の金融政策」は、第2次世界大戦以降、今日にいたるわが国の金融制度と政策の足取りがコンパクトにまとめられている。すなわち、戦後の経済復興と高度成長のための一連の金融制度の整備が進展していき、一方では、日銀政策委員会の設置など、金融民主化が実現されながらも、他方では、復金融資、その後の政府系金融機関の設立、臨時金利調整法や低金利政策など、政府・日銀主導で、大企業本位の経済成長に必要な資金を提供し、戦時中の資金配分方式が戦後においても復活した点に触れている。(12〜24ページ)
 1955年からの高度経済成長期になると、人為的な低金利政策のもとで、個人貯蓄の収奪と大企業への安価な資金集中が加速され、インフレも昂進していく。また金融機関の合併や効率化を求めた「金融2法」で、金融再編成への道がつけられる。(24〜40ページ)
 1970年代の変動相場制移行と低成長期では、不況とインフレの同時進行、ニクソン・ショックと変動相場制への移行、オイル・ショックのもとでの狂乱物価、進展する金融効率化と預金保険制度の創設、赤字国債の大量発行、外為法の改正と国際化への橋渡し、などの問題点が検討される。(41〜55ページ)
 そして、1980年代以降の金融自由化・国際化では、金融自由化は同時に金融投機の時代であったこと、しかも銀行法の改正で、銀行の公共性は後退させられ、収益追及型の銀行システムが強化されてきていること、証券市場への規制の必要性、存在問われる公的金融、などの問題点が検討される。(55〜92ページ)
 「第Ⅱ部 今日の金融問題と政策」は、現代的な金融問題が検討される。すなわち、「第1章 バブルと金融自由化」では、バブルの背景には銀行融資という「巨大なてこ」が存在し、大企業は「財テク」に走り、国民はバブルに翻弄され、さらに金融の自由化・規制緩和のなかで、リスクを転嫁された。銀行の不良債権も、元を正せば国民の預金である。公的資金による救済は、銀行の経営責任をあいまいにし、国民にリスクをシワ寄せすることになる。大蔵省の金融・証券行政は、一方でリスクを国民に転嫁し、他方で、より強大な金融機関を育成しょうとしている。(94〜155ページ)
 「第2章 金融制度改革とユニバーサル・バンクへの道」では、銀行・証券・信託・保険などの業務は、本来性格の異なる業務であり、これらの兼営(ユニバーサル・バンク)を認めてしまうと、「利益相反」など、国民経済上不都合な結果が予想される。中小金融機関や地域金融機関の積極的な意義はいぜんとして不変であることを考慮すべきである。にもかかわらず、現在、大手銀行を頂点にした金融大再編が推し進められている。だが、金融制度改革に不可欠の視点は、「金融機関の公共性、社会的役割の視点あり、金融サービスの利用者たる消費者・国民の立場である。」(156〜189ページ)
 「第3章 金融機関に対する規制・監督と今後の課題」では、まず、「政府・大蔵省の背後にある思想は、市場万能、競争至上主義そのものである」が、そこには、金融機関の公共性、社会的役割の視点の欠落、利潤極大化行動の是認など、多くの問題がある。金融自由化のなかでは、むしろ金融機関の監督は、内外にわたって強化される必要がある。そのためにも、ディスクロージャー制度を拡充する。そもそも日本型の監督行政は、大手都銀と癒着する大蔵省の法的権限が強く、天下り人事や非公式会合を介して、「官民癒着と不正の温床」のなかで行なわれている。しかも、癒着の構造は、金融自由化が進展しても、まったく不変である。今後の課題としては、独立した権限の強い監督機関・国民の立場からの金融立法の新しい手順を設立し、国会がその本来の機能を発揮していくべきである。国際的な金融規制では、日本はアメリカに追従しないで、大口の出資国として、IMF・世銀融資の建設的なあり方を発言し、国際的な信用を得るべきである。(190〜225ページ)
 「補論 半世紀ぶりの保険業法改正」では、改正のポイントを分析しながら、高齢化社会にあたって、「保険会社は営利を求め、金融機関化をめざすのではなく、本来の保険の理念に立ち返り、保険業務に専念すること、これが国民の期待に応える道である」、と提言する。(226〜247ページ)
 以上、本書の内容を駆け足で紹介してきたが、みられるように、ここには、21世紀をめざしたより望ましい日本の金融システムづくりにとって不可欠の検証とそれを踏まえた建設的な政策提言が盛り込まれている。限られたスペースのなかに、歴史的な検証と広範囲にわたる論点の解明を説得的にまとめた著者の努力と力量は高く評価されよう。ただ一言つけ加えるなら、テーマ設定からみて、十分な紙幅がさかれていなかった分野をあげるとすれば、① 日本銀行と金融政策の問題、とくにバブル下の日銀の功罪および中央銀行システムそのものの検討、② 郵貯や財政投融資など公的金融の問題、とくに現在と将来の金融システム全般の中での公的金融の地位と機能をどう位置づけるか、の2点である。もちろん、これらは、すでに本書において一定の紙幅をさいて、的確な分析がなされているのであるが、いずれも独立した章として扱うに足る分野であるように思われる。以上の評者の指摘は、もちろん、本書の真価、その有意義な内容をいささかも否定するものではない。
 本書が、日本の未来を真摯に考える人々に、広く読まれることを期待する。


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引用です。
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