山 田 越 風 句 集
〜自然、生活、社会のことについて、俳句に定着させる試みの記録〜
今日の一句
雀群る群るる鰯を追ふ大魚
俳ぼちぼち還暦を迎えようと、齢を重ねるある日、ふと思い当たることがあり、芭蕉の『奥の細道』を手にとった。旅の情緒もさることながら、わずか17文字で描き出された自然や生活の営みは、表現が凝縮されているだけに、鋭く、豊かに訴えかけてきた。
俳句は300有余年の歴史をもち、一種の定型感覚になっている17音の世界最短詩であるが、芭蕉、蕪村、一茶、近現代の俳人たちは、身の回りの自然・生活・社会の繊細な変化を切り取り、それを充分に表現していた。
この最短詩によって、なにかを表現することは、いままで見過ごしてきた自然・社会・生活の微妙な移り変わりを再発見することのようである。俳句との出会いは、畢竟、新しい世界と自分を再発見することなのかもしれない。
還暦を過ぎたものにとって、そんな再発見の慶びに出会えるとは幸いである。さっそく、俳句の世界を散策しよう。利根川河畔の暮らしに根ざした俳句の世界も創造してみたい。
雪降る越後に生を受け、空っ風吹く上州の地で暮らすわたしは、俳句を学び、遊び、詠むにあたって、俳号を自ら越風(えっぷう)と名づけた。
2014年5月、俳人協会会員、2017年7月、現代俳句協会会員となる。
[河畔の暮らしと俳句徒然]
利利根川河畔に寓居をかまえ、河畔の暮らしをはじめてから、愛犬との日課の散歩は、春夏秋冬、河畔の散策となった。河畔の四季、河畔でのさまざまな年中行事などは、多様な句材を提供してくれる。
散歩には、ちっちゃなICレコーダーを携え、浮かんできた俳句をそのたびに録音する。帰宅して、俳句帳に書き出し、パソコンに入力する。
ときどき、ふと、俳句ってなんだろうと思ったりする。通例、文字によって表現する世界、とくに学問の世界では、意味の曖昧さ・多様な解釈の余地は許されず、誰もが否定できない資料に基づき、論旨明解な証明と結論があるだけである。
でも、俳句の世界はそうではない。それなりの意味を伝える散文とも違う。俳句は、五音・七音・五音、の三つのパーツの組合せで、一つの小宇宙を創造する韻文である。この小宇宙の特徴は、一つの明解な意味を伝えるものでなく、読み手に多様な解釈の余地を残す。なぜ、この句材とあの句材や措辞との取り合わせが可能なのか、理詰めでいったら理解不能である。名句として後世に残った俳句の中には、理詰めでは理解できない俳句が多く存在する。これが、かつて桑原武夫の指摘した俳句=「第二芸術」論の根拠ともなった。
とはいえ、そのような議論に洗われつつ、俳句の世界は、芭蕉-蕪村-一茶-子規ー虚子-蛇笏・龍太-兜太と現代の俳人たち、と三百有余年、永永と詠いつがれてきた。いまなお一〇〇万人を超える愛好者たちが、世界最短詩の小宇宙を紡ぎだしている。蛇笏によれば、俳句がうまくなる人の条件として、小賢しくない人、あまり健康でない人、あまり金持ちでない人、ということのようである。いまのところ、健康はともかく、残りの条件は合格しているので、わたしにも俳句がうまくなる条件はそろっている。健康だって、このさき高齢化していくにつれて、あまり健康でない人になっていくであろうから、めでたく三つの条件に合格することになる。ということは、俳句は老後のこれからがうまくなる、と信じたい。
大空をひとりじめする大河の河畔に立つと、なんともいえない開放感が満ちてくる。河畔の魅力はつきることがない。世界の四大文明も、大河のほとりで開花したことからすると、まだまだ秘められた魅力が伏在していることであろう。この感動を三百有余年の歴史を持つ世界最短詩の中に取り込み、定着させてみたい、と思う。そして、このような試みが自由にできる時代が永くつづいてほしいと思う。
でも、そのように思うだけで、はたして俳句で遊ぶこの楽しみが、ますます閉塞感を強くしてきた日本社会でつづけていけるのだろうか。兜太は、戦禍を避けるために、任地のトラック島で詠んだ俳句を紙片に筆記し、それを石鹸の中に隠し、持ち帰った、という。
言論統制の強まる社会では、俳句も楽しめない。最近の政権は、秘密保護法を強行採決し、内閣・官僚・自衛隊の「国家」のために、不都合な情報は隠匿することができる国になってしまった。不都合な情報の公開が罰せられるようになると、言論表現の自由は窒息する。事実やデータが公表されなくなると、まともな研究もできなくなり、学問の進歩は阻害される。さらに、一内閣にすぎないのに、勝手に憲法を解釈し、集団的自衛権を閣議で決めてしまい、安保関連法を強行採決し、「戦争のできる国」にしてしまった。
戦後の七〇年間ほど、世界のどこにも戦禍を与えなかった「平和国家」日本の国際的なブランドが、投げ捨てられようとしている。広島と長崎に原爆を投下したアメリカは戦後の七〇年間ほどを世界中のあちこちで、何らかの理由をつけて戦争をしてきた。ベトナムでは二〇九万人、アフガンでは四八万人、そしてイラン・イラクでは六四万人の戦死者を出している。ドイツ、フランス、イギリス、イタリアも,その規模こそ違うとはいえ、戦後、他国に軍隊を送り、なにがしかの戦禍を与えてきた。先進国の中で、唯一、日本だけが、それをしてこなかった。
歴史上、多様な文化が花開いた時代はいづれも平和な時代であった。平和な社会でしか自由な表現はなく、俳句を楽しめないとしたら、平和を乱し、社会を閉塞させようとするシステムや潮流には、NO!の意思表示をしつづけることが避けられないように思われる。国家や社会のあり方に異議申し立てをする俳人でありたい。
河畔に立ち、北を振り返れば、上州と越後の県境に屹立する谷川連峰が見える。あの谷川連峰の向こう側には、私を育ててくれた父母がいて、山河がある。故郷の古人も、越後の地から江戸・東京に出稼ぎや学業に出かけたとき、帰郷がてら、谷川連峰が目前に現れると、なつかしい故郷を感じたことであろう。わたしも、そのうちの一人となって、いま、この河畔にたつ。
ただ、なにかにつけて故郷を回顧するのは、日本の男女差別の風習のなせる、古い道徳観に浸った「おめでたいニッポン男子」の独りよがりなのかも知れない。「十五で姐やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた」女性たちにとって、嫁いで行った先が、故郷から千里離れていても、「故郷恋いし」を口に出していえない時代が永くつづいてきた。あるいは、いまなおそうかも知れない。わが妻は、上州でもなく越後でもなく、西の国の出身である。いま、ここで、精一杯生きる妻たちよ。
会社役員の4割以上が女性役員でない企業はペナルティを受ける国がでてきたというのに、経済の規模ならアメリカ・中国に次ぐ世界3位の「経済大国」日本では、たった1割にすぎない。3〜4割がざらの先進国の中で最低である。国会議員の女性割合となると、わずかに8%であり、先進国ではもちろん最低であるが、世界ランキングでも、127位のようである。男女差別は、単に男女の問題ではなく、じつは、社会にはびこっているあらゆる差別や格差の象徴であり、社会の問題、政治の問題である。
世界第3位の経済の大きさと、社会のあり方、その中味との大きすぎる落差に愕然とし、一杯飲まないことには平衡感覚を失ってしまいそうである。
(越風山房のホームページ http://econ-yamada.edu.gunma-u.ac.jp/index.html)月刊俳句誌『星嶺』(2014年9月号)
2019年 秋
秋深し汲めども尽きぬ書の世界
川波の白さきはだち秋来たる
雀群る群るる鰯を追ふ大魚
台風一過足元に来る水の嵩
月の河畔川底に棲む大岩魚
滝壺にとどく月光大岩魚
GAFAや燈火親しむ徒然草
赤城榛名二嶺を懸け稲光
昼と夜行きつ戻りつ黒糸蜻蛉
あそびつかれだっこでねむる秋夕焼
秋深し書見台を引き寄せる
幾年を妻といっしょの月見かな
SLの遠汽笛つれ鰯雲
星々に呼びかけている虫の声
澄みし秋空釣瓶の音高し
2019年 夏
水面のシンバル叩くあめんぼう
ナイターのベンチで仰ぐ月ふたつ
万緑の漆黒となる家路かな
ひと雨に一尺のびて木香花
草野球土もつこりと土龍かな
夏草の千切れておほふ鉄路かな
初夏や利根の河畔の三歳児
ナイターのベンチで仰ぐ月ふたつ
万緑の漆黒となる家路かな
ひと雨に一尺のびて木香花
草野球土もつこりと土龍かな万緑や川面隠して利根河畔
水が水押しつぶしをりナイヤガラ
梅雨空の榛名山かくして利根河畔
川波のひとつひとつに夏夕焼
川瀬音心地よくなり夏来たる
大利根の海原となる夏の夜
夏夕焼河畔に寄り添ふ影ふたつ
夏夕焼けふといふ日を寿きぬ
鮎釣や利根の川面は光る海
海水と真水で生きる鮎の群
土押上げほつと息継ぐ土龍かな
球場の土もつこりと土龍行く
川底の緑濃くなり鮎を待つ
川底の緑に染まり鮎を待つ
鴉ら襲ひ鳶逃げ回り夏夕焼
川辺ゆくわれと夕日の夏終わる
青あらし女子高生はつちまみれ
野茨の大岩抱く利根河畔
川面に緑いつしか走り夏来たる
2019年 春
足裏をくすぐるやうな春の土
掌をこそぐるごとき春の土
足裏をこそぐるごとし春の庭
足裏の土やわらかく春来たる
ダックスフンド土筆の中を疾走す
アスファルト突抜き咲きしスミレかな
アスファルト破る兵スミレかな
アスファルト破る強者花菫
土瀝青やぶるつはもの花菫
黒松の太き根に添ふ菫かな
黒松の太き根に添ふ花菫
踏青や孫とたんけん利根河畔
赤城山笑ひて吾を迎へをり
パラモータ独り占めして春の山
春光を独り占めしてパラモータ
災を福に転ずる春よ来よ
災のいつしか去りて春の風
春の雨日本列島めざめけり
大利根の川幅ひろげ春霞
釣師か杭か大利根川は春朧
大利根の川面ふくらみ春来たる
京都にてラディカル論議春の宵
古希間近京の報告春の雨
河井寛次郎登り窯跡春日さす
寛次郎邸李朝の木椅子反り返り
京旅行哲学の道水温む
哲学の道行けば京都の水温む
苔と竹埋め尽くされし銀閣寺
三十三間堂風神笑むや春の風
京都にて風神笑むや春の風
三十三間堂雷神怒り春の雷
明石焼食べ妻は娘に戻りけり
春雨をたつぷりふくみ銀沙灘
銀閣の庭には月がよく似合ふ
祇園街昼と夜とは別の顔
人力車祇園の街の春の風
灯点る京都タワーは春朧
野に街に降り注ぎたる花粉かな
おちこちに嚔の響花粉症
残りし実食べ尽くされて春となる
薄氷のつかみし小石一二三
薄氷の一点破り小さき富士
芝犬の馳走おちこち草萌ゆる
新緑をたつぷりまとひ大欅
春風に太極拳の柳かな
牧開き赤城の麓に牛の影
冠雪の乱反射美し武尊山
美国とは戦前なりきやませの国
夜桜の光の束のしだれをり
青空を独り占めする大桜
今宵また桜の下に狂ふ人
山桜染井吉野に八重桜
耕牛の声に村中目覚めけり
D51の汽笛一声畑打つ
D51の鉄塊ぬくし里の駅
太極拳ゆるりゆるりと花筏
砕けてもスクラムなほし花筏
太公望利根の河畔に釣る初音
菫避け川辺を行けばまた菫
学童の集団登校黄タンポポ
花筏日本列島上りけり2018年 冬
山里の冬や水墨画となれり
群雀お宿は利根の枯葎
鴉二羽冬青空を北へゆく
街走る車間ちぢまる師走かな
クラクション遠近聞ゆ師走かな
救急車出動多き師走かな
鷹追ひし二羽の野鳥は番かな
大渡橋冬日ぽつねん利根河畔
初詣先頭をゆく三歳児
初売りの幟目立つや商店街
見下ろせば黒き大蛇の冬の川
白絵具重ね塗りして冬来たる
青空を裂きて鴨曳く波紋かな
対岸にのこぎり山の雪化粧
都市の雪大人戸惑ひ子ら笑ひ
県境の谷川岳は雪化粧
ゲレンデの碧き月追ふスキーヤー
大波の岩を砕けと冬怒涛
冬空の一噸ほどの重さかな
凩の身にしむネットカフェかな
大雪や電線またぎ登下校
留守電のかべを造りて冬籠
留守電にモード切り替へ冬籠
薄氷や光の朝を乱反射
トンネル抜け雪見る妻は少女かな
枯れきって山の核まで透き通り
全山のはだかとなりて冬迎へ
立冬の日本列島透き通り
2018年 秋
月天心金波銀波の利根河畔
月天心砂漠は碧く染まりけり
落鮎を狙ふ釣師に夕陽落つ
秋深し汽笛のとどく枕元
蟷螂の鎌狙ひをり己が影
蟷螂の空にふりあぐ鎌さびし
蟷螂の振上ぐ鎌の空を切り
高崎線空席を待つ夜長かな
谷川連峰向こうは郷里鳥渡る
満月に汽笛を鳴らす夜汽車かな
満月を追ひかけていく夜汽車かな
稲穂波童の肩をなでにけり
行く秋や三ケ月池で時を釣る
赤城山赤く染まりて秋を行く
対岸の家並くつきり星月夜
川波の白波となり野分かな
木の実落つ大音響の閑けさや
よりそひて高きをめざす葛の蔓
野分雨横槍のごと突き刺さる
仁丹のこぼれて銀河こぼれをり
天に銀河仁丹吾の手の平に
庭にくる山鳩秋を連れきたり
秋蝶の風に漂ふいのちかな
秋蝶の風にあづくる命かな
散歩する吾すきとほる秋来たる
上州路ただひたすらに木の実降る
木の実落つ音に耳立つ人獣
留守電へモード換へたる夜長かな
留守電で灯火親しむうれしさよ
2018年 夏
八月の空キノコ雲忘るまじ
天空に穴をあけたるフロンガス
二歳児の障子の穴の小さけれ
散髪や夏を三度も下げにけり
今宵また暑き風来る扇風機
この大暑受け流す術あらば欲し
軽トラの万緑を縫ひ野良仕事
軽トラの干草の山走り出す
干草の牛を育てる重さかな
青草の香を深く吸ひ肺碧し
AIで衝突避ける水馬
息継は三十秒の川鵜かな
この酷暑いつまでつづく砂時計
棚田舞ふ蛍にまじる星いくつ
星屑の落ちて蛍となりにしか
水馬のときどき転ぶ池の端
山と人映して田植終わりけり
釣堀に釣人をりて哲学す
白球の放物線にかかる虹
中総体夏は君らのためにあり
魔法瓶汝負けたり岩清水
棘隠すあまき香りや針槐
アカシアの香り濃くして河畔の夜
青空とわれを吸ひ込む木下闇
野茨や白く小さく強き花
関越道万緑浴びて疾走す
赤白黄いつも笑顔のチューリップ
赤青黄老若男女桜坊
顔をみな夏風に向け深呼吸
桑の葉の用なしとなり実のたわわ
おやつなる桑の実あまた残りをり
万緑をおすそわけして中洲かな
汝こそ万緑生まれ森育ち
夏草の水に身まかす利根河畔
土もつこり土龍陣地をひろげをり
釣師攻め大魚逃げ切り夏夕焼
万緑の林つくりて大欅
万緑をてんこ盛りして大欅
一滴のふかくいりたる緋牡丹
蕊晒す牡丹の庭に射す夕陽
蕊あらは牡丹の園に風吹けり
風吹けばかくもみだるる牡丹かな
解け散る牡丹の花や蕊あらは
足裏のこりこり青いサクランボ
せせらぎの鼓膜くすぐる夏来たる
夏空を揺らす大枝われ揺らし
百日紅郷里の母の腰まがり
耳目より腹で受け止む大花火
橋の上一番星あり水澄めり
2018年 春
平和とは百万人の花見かな
花筏流れ入りたる暗渠かな
雀二羽砂浴びてをり春の庭
サイクリングロード行けば迎える初音かな
野に山に春の重さを解き放つ
花筏めざすは誰もいない国
花筏めざすは遠き星の国
花筏行ってみたきはよその国
花筏二つに別れ西東
川波に難破かさねる花筏
さくらさくら山脈となり赤城山
池囲む天地満開桜かな
長閑さやあくびおちこち待合室
長閑さや欠伸を噛みて席に着く
のどかさやあくび円卓まわりをり
長閑さや犬の欠伸のうつりけり
行く春や憲法断崖に立てり
戦争が見え隠れする崖の縁
水温む水の中から虫湧けり
春光の金波銀波の利根河畔
利根川の川幅ひろげ朧かな
漆黒の木肌やぶりて木の芽立ち
漆黒の幹突抜けて桜花
樹肌漆黒見あぐれば桜花
日本列島川波うたふ春来たる
麗らかや川波うたふ利根河畔
春うらら橋の下よりラップかな
春の海行ったり来たり二人連れ
桃ノ木川太公望が鱒を釣る
小さく強く可憐に咲きし菫かな
枯野原青ほの見えて潜む春
空焦がす野焼き見守る青年団
地植ゑせし木瓜満開や父逝けり
春愁や日がな一日竿をふる
春光とゆるりたはむる綿毛かな
栴檀の実喰ひ尽くされて春迎ふ
対岸へ川波を縫ひつばくらめ
大利根の川面いつしか雪解色
県境の白く輝き春をよぶ
春霞む榛名山の空にとろけをり
春立つや釣師おちこち利根河畔
川波の歌ひ出したる利根の春
春うらら出会いは赤き月の下
川波の春光こぼし利根河畔
樹間より利根の川瀬は春歌ふ
2017年 冬
冬怒涛俺は俺だと動かぬ岩
雪掻で肉刺をつくりて越後の子
閑かさや雪匂ひたつ光堂
冬青空罅はしりをり飛行機雲
冬青空フリスビーと消ゆる犬
冬帝に挑む一機のパラモーター
冬青空音残し消ゆパラモーター
雪しんしん越後の夜や父不在
汗飛ばし第九の指揮者年暮れる
太郎へと次郎へとへと雪下ろし
雪原に孟宗竹の二三本
枯尾花いのち枯らして風となる
山茶花の一輪池面照らしをり
竿を振る手悴みて利根河畔
早朝散歩凍りつきたる池の端
ザバザバザ遺伝子めぐる鴨の闘
利根河畔ぐるり山脈眠りけり
時代(とき)慌ただし山眠りをり
松の枝の雪山隠す利根河畔
みちのくや吹雪とあそぶ竹林
みちのくや吹雪とあそぶ竹一本
中空の大凧いまにも落ちそうな
中空の月を眺むる歳の暮
豪雪に挑む通学越後の子
谷川の冬木震はし川瀬音
寒夕焼牛肉買ひて帰宅せり
月出でて雪原蒼く染まりけり
冬木立声を潜めて生きてをり
利根川のしぐるる空へ流れ入る
一晩の冠雪遠山高くなり
太古よりここにある岩冬日差す
朔太郎去り利根の松原時雨れをり
落葉降る光あつめて落葉降る
ふるさとの一本松に時雨かな
草陰を伸ばしきったる寒夕焼
せせらぎの耳にささりて年暮るる
銀杏降り黄金の大地隆起せり
2017年 秋
秋冷の上野の森で考える
日本海瞬く銀河佐渡に入る
銀河瞬き佐渡ひきよせる柏崎
秋雨や置かれしままの歩数計
秋空をぐんぐんまわす風車哉
あかぎれの母の指先菜を漬ける
運動会孫のどんじり祖父ゆずり
頬杖の上野の森の秋深し
満月のみる利根川は大蛇かな
大夕焼稲を刈る人運ぶ人
稲を刈る我の背後に大夕焼
今年米郷里越後は口の中
定年や新蕎麦に昼酒追加
指先の蜻蛉の群を大夕焼
大花野心の重荷いづこへか
その窓を開けて聞けよと虫時雨
山霧の関越道の霧に溶け
玄関の下駄の鼻緒にちちろ虫
園児らの帽子にぎやか蕎麦の花
園児らの黄色い声や蕎麦畑
満月に汽笛を鳴らす夜汽車かな
満月を追いかけていく夜汽車かな
満月美し兔もちつく幼き日
満月の兔を消したガガーリン
満月にはしごをかけて兔狩り
大花野心の重荷いづこへか
その窓を開けて聞けよと虫時雨
玄関の下駄の鼻緒にちちろ虫
父の木瓜その実は父の手に似たる
廃校や昭和はるかに秋の風
初秋やまだ青々と栗のいが
玄関を出るや足もと秋の蝉
踊笠はずせばあどけなき少女
樹間より笛の音きこゆ秋の暮
霧襖破り濁流スニーカー
早朝散歩榛名山は霧に噎びけり
黒松の林おちこち曼珠沙華
利根河畔松の林に曼珠沙華
2017年 夏
列島に泥の香をきく梅雨入かな
列島の泥の香失せて梅雨明ける
大蚯蚓無念小蟻の群の中
木下闇身体冷やしてあと二キロ
幼児の不安かきたつ蟻地獄
夕風の喇叭もてくる冷奴
葛の葉や河畔は君のためならず
歓声に炎暑はじける野球場
夏の夜の演奏会や草の中
草いきれどこか懐かし香りかな
草いきれチャンバラやった少年や
無資格の閣僚多し夏の果
廃校の桜並木の木下闇
遠雷やあの日あの時あの人と
木漏日のまだら模様や猫消ゆる
愛犬の舌ののびきる夏来たる
光陰を行きつ戻りつ鬼蜻蜓
松籟の涼しさ響き利根河畔
大南風木の葉尖らせ利根河畔
大南風葉裏群遊利根河畔
夏草を刈ればあらわる獣道
万緑に迷っていたら獣道
牡丹や庭のまんなか火事おこし
岩魚釣る太公望や岩と化す
夏空にパラグライダー人翔ける
青空で白爆発し入道雲
これがまああの向日葵か黒々と
暗渠出て川面万緑映しけり
野茨の真っ赤な蔓や利根河畔
滴りの山越え野越え日本海
葦の角水玉載せて背比べ
紫陽花や土塀の角の花なりし
利根河畔松の林に曼珠沙華
利根の松林入るや冷と夏の風
利根河畔せせらぎ歌ふ夏の朝
散歩に体操おもひおもひの夏の朝
傘松で日陰をつくるナポリかな
夏のゴミ一切合切清掃車
柿若葉孫のほっぺと競いをり
稜線に牛の影あり夏来たる
アカシア咲き鼻孔開きて帰宅せり
アカシアのあまきかほりやとねかはん
アカシアの棘うひうひし利根河畔
五月雨を集めて広し利根河畔
笑顔のせポニーの散歩ほととぎす
緋牡丹の炎ばうばう庭を焼く
立つ青草絡む枯草利根河畔
万緑の重さを背負ひハイキング
五月雨を集めて利根の色変わり
五月雨や忠治は合羽欲しかりし
野薔薇強し河畔の小さき白き花
栴檀の花の噴水利根河畔
五月雨や草原光る海となり
2017年 新年・春
葉桜や家並欠けたる街の中
梅一輪いだく老木こぬか雨
駅頭の朝のにぎわい鳥雲に
新緑を映しだしたる眼かな
子燕のあけたる口のかがやけり
川波をひがんまで縫ひつばくらめ
春耕間近爪切る牛の列短し
村中に春耕告げる牛の声
夜桜を月と眺むる今宵かな
八重桜八重に重なる重さかな
花吹雪両手を挙げて三歳児
花吹雪つかまへようと三歳児
累々と池辺に座礁花筏
杭一本花の筏はまっぷたつ
花筏去り静けさ戻る池の端
花筏無数に散りて星となり
花筏寄り別れては太平洋
満開の桜並木は青空へ
蒼天を引き寄す満開桜かな
面あぐや桜の蕾のしかかる
川面うねり鯉のいのちの春来たる
水温み河畔に彩り戻りけり
木瓜咲きて父の一周忌の来たる
啓蟄や十七時間のミラノ着
春月を重く抱へて利根河畔
春光を打って走者となりにけり
凧凧凧老若男女利根河畔
土手一面ピサの斜塔やつくしんぼ
この星を愛してしまふ春の海
水温み河畔に彩り戻りけり
大野焼阿蘇の明日や草の海
シャボン玉飛んだ灯油売やってきた
雪解水今日の濁りは明日に消ゆ
川幅の広がってをり雪解水
雪解水日当たるところ雪解色
深山の鼓動伝へて雪解水
せせらぎの春光織り込む利根河畔
せせらぎや柳青めく利根河畔
せせらぎの音に混じりて初音かな
せせらぎを突き抜けてくる初音かな
薄氷割って青空割りにけり
鬼瓦震へる夜半の猫の恋
少子化を笑い飛ばすや猫の恋
寝静まる街震わすや猫の恋
どの子にも春風ほっぺなでにけり
春立つや木々の枝先紅ほのか
アベノミクス格差広げて去年今年
旧街道赤城嶺めざし去年今年
2016年 冬
小さき手に豆ひとつあり福は内
利根川のしぐるる空へ流れ入る
せせらぎの歌い出したか春隣
一晩の冠雪遠山高くせり
枯木立声を潜めて生きてをり
枯木立影伸びきって隣街
草陰を伸ばしきったる寒夕焼
冠雪や上信連山立ち上がる
冠雪に噴煙かぶせ浅間山
雪深き越後の夜や父を待つ
空風や窓ガタピューと更けし夜
空風や鬼現れて窓揺する
月出でて雪原蒼く染まりけり
見渡せば冠雪連なる利根河畔
冬日射しノッポのサリーとキリンたち
上州路曲がれば樹間に大根干し
雪雲に山頂奪われ赤城山
かまくらに洟垂れ小僧の笑顔かな
雪雲を抜け出し富士の嶺白し
狐出て日暮れ引寄す尾っぽかな
水底の岩影冴ゆる利根河畔
冬日差す河原の石の白さかな
厳冬の淵を覗けば地底見ゆ
枯尾花そんなにちぢんでどうするの
大岩の砕けとばかり冬怒涛
ふりむけば雪の越後や利根河畔
石蕗枯れて元気な父を思ひ出し
青信号空風ささる夜の道
空風のページをめくる古書の街
着ぶくれてなおスマホもつ車中かな
空風や漕いでも漕いでも風の中
日向ぼこ孫を小脇の破顔かな
喧噪をのがれ山居の日向ぼこ
軽トラの行き交う村や冬支度
初雪を顔で受けとめ吾子のゆく
富士発見赤城の冬の見晴台
空風に身体じんじん犬元気
空風にあそびあそばれ大柳
激しく風と闘っている冬薔薇
たびたびの地震恐れつつ歳暮るる
釣人を部屋に閉じ込め空っ風
太公望魚影追いかけ冬籠
尺岩魚夢で釣り上げ冬籠
薪を割る木の香ただよひ冬来たる
2016年 秋
樹間より笛の音きこゆ秋祭
落鮎の釣られてゆくは平家かな
棚田ゆく満月いくつ一二三
秋深し森にあまたのゴッホの絵
赤城山稜線くつきり雁渡る
せせらぎの音に驚く暮の秋
通勤や黄金踏みつつ金木犀
地に花畑天に青空北海道
秋風の瀬音半音上げにけり
桐の葉の空を揺らしてわれ揺らし
足下に金を敷きつめ金木犀
秋の風シャッター街を吹き抜けり
秋草のパリパリパリと刈られをり
番神岬佇むわれに秋の風
濁流に清流の縞雁渡る
蕎麦喰ひに野分のなかをチャリで行く
秋蝶の棲むは季節の狭間かな
幾千年河畔の癒し秋の暮
蟷螂の鎌を残して轢かれをり
大空の濁流となり大野分
赤蜻蛉白雲背負ひ利根河畔
白球を追って秋の日暮れにけり
2016年 夏
釣堀に今日も哲学釣りに行く
光陰を行きつ戻りつ鬼蜻蜓
方丈の座敷筋かふ蟻の道
ねいりばなしじまを破る蚊一匹
濁流にぬつと首出す川鵜かな
書を校す短夜にくし朝仕舞
書を閉じて山居に浴びる蝉時雨
夕立のドラムシンバル軽井沢
夕立は離山から軽井沢
夕立の踊るテラスや軽井沢
夕立に土の香を聞く窓辺かな
夏風のほほえんで来る池の端
木陰とはかくも涼しき世界なり
葉桜の下に広がる闇深し
大岩の緑に染まり梅雨明ける
大蚯蚓ここまで這って尽きにけり
青鷺の首たわむるや時止まる
星空を運んで利根は銚子まで
夏の日を背負ふ早朝散歩かな
水馬の空這ふ里に戻りけり
畦燃やす一直線の曼珠沙華
滝怒涛かろやかに舞ふ水しぶき
利根河畔葛葉連れくる太き蔓
遠近の余花にさそわれ利根河畔
走り茶に鼻孔ふくらむ老夫婦
蕗の葉を雨傘にして姉妹
田植えする太き農夫の指さばき
就活の背中を押して若葉風
蕗の葉を雨傘にして姉妹
大岩を鷲づかみして咲く野薔薇
柿若葉テンプラにしてビタミンC
脛触るる夏草硬くなりにけり
昼寝して故郷の山河かけめぐる
アカシアの花降る河畔かくれんぼ
河畔舞ふパラモーターの夏来る
足めがけ押し寄せてくる葛の蔓
うだる夏上毛三山雲隠れ
今夏よりいくつの夏を迎ふるや
運動会いまを盛りの若さかな
2016年 新年・春
遠近に初音あふるる郷里かな
つばくらめ郷里の土間は半開
はるかすむふるさととほくなりにけり
まろやかにたゆたふしだれ桜かな
大欅芽吹きて森になりにけり
逃げ水に追いつきたくてペダル踏む
逃水を追い越してゆくフェラーリー
地震襲ふ九州の地や春無残
桜満開ゆるり流るる太極拳
家三日空けて満開桜かな
若葉あふれ大河となりし利根河畔
顔ふたつ枝垂れ桜の夜と昼
春眠をすなおに受ける齢かな
釣堀か利根の大河か鱒解禁
菜の花の中洲を染めて川面染め
花筏波紋に乗りて池めぐり
学位受理さくらふくらむ利根河畔
蕗の薹笑顔ならびし古田かな
日向ぼこふと思ひだし鎌を研ぐ
太公望春の霞を釣ってをり
春霞太公望のひいふうみい
鱒よりも釣り人多き利根河畔
白牡丹庭の閑けさ深まれり
高齢者避けてはくれぬ花粉症
利根河畔釣られし鱒の色に染む
足元にいのち育む雪解水
春雨や顔でうけとめ露天風呂
いぬふぐり咲き愛犬の顔傾ぐ
白髪のラガーら走り春うらら
佇めばわれを吸いこむ雪解水
大欅一山造る芽吹きかな
桑の葉のあなたを待ちて一世紀
遠近にいのち育む春の水
鉄筋の赤錆きよめ春の水
今朝の吾を迎へてくれし初山河
座布団を出して新年迎へけり
寝正月夢は雪原かけめぐる
独楽まわし孫の喝采浴びにけり
獅子舞や幼児後ろに隠れをり
鏡餅闇の床間ひかりをり
初夢はアベノミクスの向こふ側
見あぐれば浅間のけむり去年今年
病院の待合室の去年今年
大凧や人と河原を吊り上げて
ハングライダー河畔行き交ひ去年今年
利根川もわれも滔々去年今年
2015年 冬
水面うち大白鳥の空に消ゆ
雪原の下ひそやかな音すなり
人知れず深山くだる冬の水
寒風のなかに桜木色めけり
雪止むや星座を仰ぐ山の庵
二人目のグランパとなり年迎ふ
冬の陽をふたつ浴びたる池の端
対岸の家並くっきり冬銀河
空風や我物顔の高架下
空風の果ては銚子か利根河畔
棒高跳び寒月越えて着地せり
半鐘台錆びてぽつねん村暮れる
橋上に自動車行き交ひ年暮るる
山茶花の笑顔こぼるる散歩道
山茶花は7分咲きこそめでたけれ
山茶花はすこし離れて愛づべきか
冬空を突き抜けていくトランペット
ミニベロで挑む上州空っ風
見下ろせば墨流すごと冬の川
橋上に自動車いきかひ年暮るる
凩や松葉の刺さる犬の糞
利根河畔枯れ野筋交ふ鳥の影
白菜の湯気あまくして部屋ぬくし
この香り蝋梅ありやいずこにか
時雨るるや白猫黒猫ならぶ窓
噴煙に着ぶくれてをり浅間山
岸辺の朝薄氷太古よりひかり
わが行けば河畔飛び立つ野鴨二羽
襟巻に二つの眼月凍る
襟巻の尾ゆさゆさと橋渡る
旧年の木葉の上に木葉降る
冬の朝前橋を出て渋谷まで
松毬の芯貫きて冬の雨
水底に雪山浮かぶ赤城山
見あぐれば谷川連峰雪景色
寒に入る犬のリードのピンと張り
息白く大きな黒犬疾走す
大勢で抜いた蕪かな味深し
雪しんしんしんしんほどの静けさや
なんとまあ積雪窓を越えてをり
雪重く家の柱の悲鳴かな
雪が降る昨日今日明日雪が降る
水底にもう一群の鴨の群
満開の山茶花散りて夜来る
2015年 秋
月冴えて犬の耳立つテラスかな
身のうちに夕陽とりこみ柿熟れる
大勢で抜いた蕪かな味深し
たつぷりと室内楽の秋の暮
秋蝶の翅は錨になりにけり
赤とんぼ古里とほくなりにけり
赤とんぼ赤を残して去りにけり
身のうちに夕陽とりこみ柿熟れる
うすかわに種すけて見ゆ熟柿かな
秋の水とろりとろけて流れをり
踊り子の手先は時を止めにけり
縦横に手先楽しく祭果つ
松の影わが影ともに月の客
松毬を静かにぬらす秋の雨
秋雨の白き糸引き松の肌
対岸へ夕陽橋架け秋渡る
山脈と戯れている鰯雲
雁渡る郷里は向こう赤城山
月見して兎と跳ねし日々のあり
秋の日や日増しに水の音高く
秋の日や日増しに軍靴の音きこゆ
天高し武力で平和はつくれない
白昼を小さき闇飛ぶ糸蜻蛉
八月の空の歴史を忘るまじ
松の木をボキンと折って野分去る
秋の陽のバッハ折り込み降りそそぐ
秋の日やみゆき画廊に妻と寄る
もつれたるコスモスほどき風立ちぬ
月見して兎と跳ねし幼き日
利根河畔影二つある良夜かな
葛の蔓雨つかまんと空さぐる
一本の葛踏みゆるる河原かな
鮒釣りの哲学釣りて秋の暮
旅行かば川面に月の突き刺さり
踊り手の手先時止め風の盆
風止めば朝日に混じる残暑かな
畦燃ゆる一直線の曼珠沙華
颱風来生きとし生けるものはしる
蜩の骸かなしやかなかなかな
蜩の骸は風にかなかなかな
2015年 夏
細き道まっすぐ伸びて雲の峰
川底の小石の茹り夏来たる
濁流の轟音もよし夏の川
川に遊び川に遊ばれ夏を行く
花氷向こうふの君も花氷
花氷買って夏売り帰宅せり
三歳児おなかまんまるみずあそび
苔伝ふ滴となりし夏の夢
蟇ゆるゆるゆるり時ながれ
蟇時間泥棒ひと飲みす
蟇ウォール街をひと睨み
涼しさや滴の放つ水の声
紫陽花の越えてしまった空の碧
母親の日傘の下の子と犬と
万緑や遠き山肌細面
更衣して新しき世界かな
朝顔の覗けば落つる深き淵
滝壺に葉っぱ一枚落ちてゆく
崩れ落つために咲くのか白牡丹
少年のためだけにあり夏の川
青田風幼き日々に連れ戻し
苗二本さまよっている植田かな
朝靄の街動き出し初夏を呼ぶ
五月雨や幹黒く染め青く染め
川風と瀬音に暮れる夏座敷
黒々と万緑迫る赤城山
万緑の赤白黄は園児かな
万緑に土をかぶせて風神来
六月のインクの香る句帳かな
柿若葉照り青空と競ひをり
卯の花腐し少し気になる床の下
木下闇ゆるりながるる時のあり
紙芝居木下闇には桃太郎
水面にぬっと顔出す川鵜かな
干草の命の果ての香りかな
鈴蘭の顔だす小家みどり町
川風に綿毛飛び交ひ夏白し
桑の実の青赤黒と揃ひをり
親雀蝶追ひかけて日の暮れて
松林抜け来し風は初夏の色
アカシアの花の豪雨と降りそそぎ
汗にじむ迷路なりしか渋谷駅
キャンパスを行き交ふ黒衣風薫る
声援のかけぬけていく夏座敷
突ボールとびこんでくる夏座敷
風薫る笹の葉脛を撫でにけり
小魚群れ睡蓮遠近咲かせけり
初夏のちゃぷちゃぷちゃぽん利根河畔
夏茱萸に口を染めたる昭和の子
虫刺され切り傷たえぬ昭和の子
蛇見れば尾を掴まんと昭和の子
夏来れば川をわが家の昭和の子
裏山はわが庭なりき昭和の子
平成の虫を怖がる子どもたち
けんけんぱ素足泥んこ昭和の子
木下闇友と集ひし昭和の子
平成のみんなぽっちの子どもたち
薫風に生かされている八十路かな