群馬県下の句碑については、丸山知良『群馬の句碑』(みやま文庫、1979年)、群馬県の俳壇史と俳句・俳人については、林桂『群馬の俳句と俳句の群馬』(みやま文庫、2004年)を参照されたい。
山畑に石垣をつむ遅日かな
村上 鬼城
大正・昭和の日本俳壇で飯田蛇笏とともに活躍。句碑は、公園隣接の福祉センター内。
同時代の俳壇では、「当代第一の作家」「芭蕉に追随し、一茶よりも句品の優れた作者」と評価される。
高崎市並榎町の旧宅は、現在、村上鬼城記念館(鬼城草庵)として公開されている。
県内各地に句碑あり。この句碑には鬼城自筆の俳画あざみ。鬼城の写真は草庵HPより。
露涼し形あるもの皆生ける
生きかわり死にかわりして打つ田かな
越後路へをれまがる道や秋の風
痩馬のあはれ機嫌や秋高し
俳天地ここにひらくる雪解かな
倉田 萩郎
明治30年に前橋で生まれた句会・いなのめ会の発起人で、正岡子規門の一期生。
句碑は、公園内の朔太郎記念館と詩碑の左手、川中島、松の木の根元の自然石。
群馬の地は古くから俳句も盛んだった。林桂氏の前掲著は明治から平成の俳壇史を解題。
星屑のうるみそめたる弥生かな
高橋 香山
前橋地方裁判所の書記として勤めながら、前橋いなのめの会の俳句同人として作句。
村上鬼城もこの句会に高崎から出向き、助言している。
露の身のかくも静かに散るあわれ(辞世)
蓬葺く大嶺の雲に手をかざし
野竹 雨城
茨城県生まれで、昭和21年、前橋電話局へ転勤、俳句雑誌『ぬかご』を復刻。
前橋放送局の選者。句碑は、松林のボート池の北東端。