14. 国債の消化機関化する日本銀行ーいつかきた道
はじめに
歴史の伝えるところでは、中央銀行(日本銀行)が時の政治に従属し、行政の道具に利用されるとき、その国の社会と国民生活は、甚大な被害を受けてきた。
現代日本にあって、そのような歴史の惨禍が、再び三度繰り返されつつあるような時代の足音を感じるのは、筆者だけであろうか。
というのも、日本銀行は、いま事実上の国債引受・消化機関化し、国庫に財政資金を供給する「打出の小槌」のような役割を担っているからである。戦前と違う のは、国債を直接引き受けていないこと、提供される財政資金が軍事費となって戦争遂行のための資金として使用されていないこと、である。
だが、そのやり方において、戦前のように政府から「直接的」に国債を引き受けていないだけで、民間銀行を仲介した「間接的」な国債引受・消化機関となっており、実質的に、日本銀行から財政資金の一部が供給されている、といえるからである。
その結果、現代日本は、自国の経済規模(GDP)を超過するほどの巨額の国債発行残高・政府債務を抱え込んでしまっている。この天文学的借金は、どうやって償還・返済するのだろうか。
国家の借金証書としての国債
国債とは、一定の利子の支払いを約束にして発行される国家の借金証書である。
これと似たものに民間企業の発行する社債がある。いずれも借金証書という点では共通しているが、違うのは、社債の場合は、その借金が将来的に新たな所得を 生み出す財やサービスの生産などに投資されるのに対して、国債の場合は、非生産的であり、その年度限りの政府の予算編成で、全額が消費し尽くされてしまう ことになる。
借金証書なので、将来の返済が義務づけられているが、社債の場合は、ビジネスによって生み出される将来の利益によって返済されるが、国債の場合は、将来の 国民の税金によって返済されることになる。したがって、国債の発行残高が増えると、将来の国民の税負担も増大していかざるをえなくなる。
そこで、限度を超えた国債の増発を防ぐために、国債の市中消化を原則にしてきた。これなら、国債発行額の上限を、民間金融市場に滞留する資金の範囲内に閉じこめておくことができるからである。
ところが、一国の中央銀行が国債の発行に関係してくると、事態は一変する。なぜなら、中央銀行(日本銀行・日銀)は、発券銀行であり、その国で使用されるマネーを供給している機関だからである。
だから、日本銀行を国債の消化機関にしてしまうと、時の政府は、ほとんど無制限に国債を増発することができる。日銀は、わが国の中央銀行として、政府の発 行する国債をいくらでも買い取り、その買い取った金額を財政資金として、政府にマネーを供給する。その結果、国債残高は、巨額化し、時に天文学的な金額に なり、国民の税負担も無制限に増大する。
日本銀行の国債引受・消化ー戦前と戦後ー
戦前、日本銀行は、国債の消化機関となり、時の政府の国策遂行に、無制限に財政資金を供給してきた。
満州事変、日華事変、そして第二次世界大戦に到る莫大な戦費調達は、税収の範囲では大幅に不足し、国家の借金=国債の増発により手当てされた。経済の発展 途上国であった当時の日本国内には、つぎつぎに増発される国債を消化できるほどの民間資金があるわけもない。戦前の軍事国債の増発を可能にしたのは、日銀 が政府の指示に従って直接国債を買い取ってやっていたからである。
当時の日銀副総裁の深井英五は、「大胆に始めから日本銀行引受の方法を以て国債を発行」するやり方を、「新機軸と云ふべきもの」と述べていた(深井英五『金本位制離脱後の通貨政策(増補版)』千倉書房)。
戦後になると、景気対策・公共事業の資金調達を目的にして、1965年度から国債が発行されるようになったが、そのやり方は、銀行を中心とする民間金融機 関が「国債引き受けシンジケート団」を結成し、この民間団体に対して国債を買い取ってもらうやり方で国債が発行されるようになった。
このやり方だと、国債発行額の上限は、一応、民間金融機関が、国債投資に振り向ける資金規模の範囲内となる。というのも、経済成長のための企業の資金需要 が強ければ、民間銀行は手持ちの資金を民間企業部門に振り向けることになるので、国債の購入金額はその分減額されることになるからである。
ただ、抜け道も用意されていた。それは、民間銀行がいったん政府から購入した国債を、日本銀行がそっくり買い取ってやっていたからである。
これは、日本銀行による国債の買いオペレーションといわれる金融調節である。民間銀行保有の国債を日銀が買い取ってやるので、国債の保有者は、民間銀行か ら日銀に転換される一方、日銀から民間銀行に対して買い取ってやった金額分のマネーが民間銀行に供給されるわけである。
問題は、このような日銀の国債買いオペレーションが繰り返されたらどうなるか、という点である。このやり方は、政府の発行する国債が、一時的に民間銀行を 通過するだけで、最終的には日本銀行に引き取られていくことになるので、日銀による国債の間接的な引受がなされていることになり、結局、この場合でも、日 銀が国債の消化機関のようになっていることである。戦前との違いは、日銀が政府から直接国債を購入していないだけである。
こうしてまた、戦後も、国債は大増発され、現在では、世界第2位の経済大国であるこの国の経済規模(GDP)に匹敵するほどの450兆円もの国債残高を抱えるほどになってしまった。
国家債務の返済をめぐってー歴史的事例
国家債務である国債の発行・償還問題は、戦争の歴史とともに、世界中で古くから存在した。現代日本の国債残高も、ほぼ「国家破産」状態に達しており、先進 国中でも最悪の事態にある。では、歴史上、各国は、巨額の国家債務をどうやって償還・返済してきたのだろうか。以下、富士通総研(FRI)経済研究所の 『Economic Review』(Vol.7 No.3 ,Jul 2003)「政府債務累増の帰結」(表参照)によって、検討してみよう。
表中の「政府債務比率」とは、経済規模(GDP)に対する国債残高を中心にした長期政府債務の割合(長期政府債務/GDP)である。ちなみにわが国の現在 の政府債務比率は、ほぼ140%であり、歴史的にも、ナポレオン戦争後のイギリス(210%)、第二次世界大戦直後の日本(189%)に次ぐ高さにある。
国債の大増発に代表される政府債務の累増の原因は、戦前の場合、世界中、どの国も共通して戦費調達によるものであった。これに対して、戦後の場合は、「軍 事国家」を標榜するアメリカの戦費調達を例外として、イタリアもスウェーデンも「大きな政府」が原因とされるが、これは、日本のように経済成長至上主義を 目指した公共土木事業費の増大にあるのではなく、ヨーロッパ諸国に共通してみられるような福祉・社会保障関連予算の充実などにある。
では、こうして累増しつづけた政府債務に歯止めをかけた要因は何かといえば、戦前の場合には、戦争の終結であった。それは、そもそも戦費調達のために国債が増発され、政府債務が累増したから、戦争が終われば、政府も、借金の必要性はなくなるからである。
だが、戦後の場合は、異なる。それは、平時下での政府債務なので、主に内外の経済的な要因によって政府債務のデメリット・危険性が表面化することで、議会を通じて、国債発行額に制限が加えられるやり方で、政府債務の累増に歯止めがかけられる。
表中の「通貨の信認低下」が債務累増の歯止めになるのは、巨額の政府債務を抱え込み破産状態になった国の通貨(円・ドルなど)は、国際社会から信用されな くなり、内外の経済取引に障害が発生するようになるからである。また「国債市場暴落」とは、国債価格の暴落=長期金利の暴騰によって、金融市場を混乱に陥 れ、金融機関の破綻などを誘発し、これも経済活動にとって深刻な悪影響を与えるからである。わが国の場合は、これらのいずれにも深く関係するが、「経済大 国」なので、「国債市場暴落」が歯止め要因になる可能性が高い、といえよう。
問題は、表中の「債務比率低下の主因」、つまり巨額の国家債務は、どうやって償還・返済されていったのか、という点である。この表では、「増税」に触れて いないが、第一次大戦後のアメリカの「債務償還」やその他の国の「実質成長」の中身は、増大した税収によって債務が償還・返済されたことを意味している。
注目されるのは、「ハイパーインフレ」、「物価上昇」によって、実質的な政府債務を洗い流してしまうやり方がよく見られることである。つまり、国家債務の 洗い流しを意図したインフレ政策で、物価を10倍にあげたとすると、政府債務の数字上の金額はそのまま変わらないでの、債務に対する実質負担は、10分の 1で済んでしまうからである。戦後直後の日本がそうだったし、第一次大戦後のドイツの場合、物価を1兆倍にすることで、支払不能の政府債務を洗い流した歴 史的な事例であった。国民生活は、この異常とも云うべき物価高によって壊滅的な打撃を受けたことはいうまでもない。リヤカーにマルク紙幣を積んで買い物に 行く写真や積み木代わりに紙幣の束を使用した子供たちの例など、が想起される。
では、現代日本の前には、どのような選択肢があるのだろうか?これまでのところ、新規の増税としては、消費税の導入(5%で国庫への税収約10兆円)があり、また国有財産の売却によって約10兆円(NTT株の売却代金)の国債償還財源を手当てしてきた。
だが、取りやすいところに増税したり、国有資産の切り売りを重ねるのではなく、ましてハイパーインフレを惹起させることなく、少子高齢社会の現実をふま えて、国民生活や経済社会の安定化の視点から、新しい日本の経済社会の豊かなビジョンを提示しつつ、長期債務返済計画が議論される必要がある。
【やまだ ひろふみ・群馬大学教育学部教授】
(e-mail : yamachan@edu.gunma-u.ac.jp)
『群馬評論』97号、群馬評論社、2004年1月
経済社会評論へ