18. 郵貯民営化の底流を読み解く
ー変貌する金融機関ー銀行・郵貯ー(2)
はじめに
郵政事業の民営化にともない、郵便貯金制度(以下、「郵貯」と略称)が、解体されつつある。郵貯は、明治時代に発足して以来、全国津々浦々の郵便局を通 じて、小口の個人貯蓄の受け皿となり、民間銀行の幾倍にも匹敵する貯金を集め、「世界最大の国家銀行」として機能してきた。
その巨額の資金は、戦前には、軍事目的に使用されたりしたが、戦後は、「第2の予算」財政投融資の財源になって、企業や個人に対して、安価な長期性資金と して融資されてきた。身近な例では、個人に住宅ローンを提供する住宅金融公庫、中小零細企業向けの長期・大口・低利融資を担う中小企業金融公庫など、の財 源となって機能してきた。
だが、郵貯は、いま、130年ほどの歴史を閉じようとしている。郵貯解体に直面している現代日本の経済社会は、したがって、近代国家の成立をみた明治以来 の歴史的な大転換期にある、といってよい。では、なにゆえに、郵貯は、その長い歴史に終止符を打たれつつあるのか、その背景を探ってみよう。
見えてくるのは、民間金融機関による公的金融制度の解体であり、郵政事業のもとにある巨額の個人貯蓄資金(郵貯227兆円+簡易保険120兆円)の争奪で あり、また郵政民営化株の売出によって、巨額の株式売却代金を確保したい政府と財務省の新規財源対策にあるようだ。
分割・民営化される郵政事業
郵政民営化の基本方針が決定され、現在、日本郵便公社のもとで営まれている郵便、貯金、保険の3事業は、2007年4月から、政府が全額出資する持株会社のもとで、窓口会社、郵便会社、郵便貯金銀行、郵便保険会社として、4社に分割、民営化される。
それまでは、全国一律サービスや郵貯に対する政府保証など、利用者からの存続を求める強い声を反映し、一定期間存続する予定のようである。その後、 2017年3月末までに、郵便貯金銀行、郵便保険会社のそれぞれの株式は、NTT株の売却事例のように、政府から株式市場に売却され、民間の金融機関と同 様の条件下にある株式会社として完全独立することになった。
郵政民営化に先立って、全国銀行協会連合会など民間金融機関の各業界は、年頭の会見や各種の大会などで、自分たちの営業を圧迫する郵貯を解体せよとの発 言を繰り返してきた。いわゆる民業の圧迫問題については、政府も歩調を合わせている。だが、郵貯を利用する多くの国民諸階層にとっては、郵便局の存在や郵 貯には多くのメリットがあった。
むしろ、数兆円の公的資金の支援を受けなければ存続できないような不健全な経営実態を克服できない民間金融機関のあり方こそ、問題であり、抜本的な改革が必要である、といった率直な感想を持つ利用者や国民の声は無視されるできでない。
もちろん、郵政行政をめぐる各種の問題ム天下りの受け皿になり、ビジネス特権を有する郵政ファミリー企業の存在、特定族議員の集票装置になっている特定郵便局網のあり方などーは、利用者の利便性や国民の利益に沿った内容で、早急に改革される必要がある。
近年、民間活力や民営化=善、官=悪、といった図式化が目立つが、これは誤りである。民自体が官と財政に依存し、また官が民に天下り先を求める官民の癒着 体制こそ、国際社会の目から見れば、不透明で不公正な「もたれあいのネットワーク(cozy networks)」(米『ビジネス・ウィーク』誌)であり、根本的な改革が望まれる。
タウンミーティングの声
政府は、郵政民営化に関する3回のタウンミーティングを各地で開催し、「郵便局で提供するサービスが多様化する」、といった民営化の利点を強調してきた。だが、タウンミーティングの参加者からは、民営化を懸念する声が相継いだようである。
新聞各紙によれば、「利益を優先してサービスが悪くなるのではないか」、「地方の高齢者が年金を受け取る場所が減って不便になる」、「身近な財産管理・運 用の場、行政サービスの場を失う」、「明治時代から築いてきた郵便局網がなくなれば地域の共同体意識も崩壊してしまう」、といった発言が相継ぎ、さらに、 「民営化を撤回してほしい」との意見には、場内から大きな拍手が起こる場面があったようだ。
世論調査(時事通信社)でも、郵政事業の民営化を支持する世論の割合は、わずかに1割にすぎない。7割以上の圧倒的多数の世論は、民営化に懐疑的であったり、反対の意思を表示していた。
郵政民営化の発端は、そもそも、郵便局を直接利用しているユーザの要望からはじまったのではない。むしろ、その商売敵に位置する民間銀行や保険会社など が、政府に保証された郵貯や簡保は、自分たちの業務を「圧迫」するので、解体し、自分たちと同じ条件の下で営業するような会社に改組・民営化してほしい、 といった金融業界の要望に基づいている。
このことから、郵政民営化が実現したら、それは、民間の金融業界の要望が実現されることを意味するのであって、郵便局の直接の利用者の要望がかなうことではない。
民営化の政治経済学ーイギリス・日本ー
まず、民営化先進国のイギリスの事例をみよう。
イギリスは、サッチャー政権のもとで、主に1980年代にかけて、航空、テレコム、石油、ガスなどの国営企業をつぎつぎ民営化してきた。その結果を総括す ると、たしかに企業の生産性や利潤は上昇したが、それは、大規模な人員削減、実質賃金の削減の結果であったこと、製造業は停滞し、金融ビジネス部門の成長 をもたらしたこと、経営者の報酬が大きく伸びる一方で、賃金は圧縮されてきたこと、また利潤万能主義が蔓延し、経営者のモラルハザードが深刻化したこと、 イギリス社会全体では、社会保障や福祉関連分野が削減され、中産階級も縮小分解され、最富裕層がますます多くの富を独占するようになり、所得格差が拡大し たこと(中村太和『民営化の政治経済学』日本経済評論社、1996年)、などである。
民営化が一段落した時点のイギリスの世論調査では、「民営化を強奪(rip off)とみなす」国民が多数派を占め、保守党から労働党への政権交代となってあらわれた。
他方、日本の民営化では、国鉄やNTTの民営化が先行事例としてある。
国鉄の分割民営化は、その後の事態の推移が示すように、国労解体による労働運動の再編と都市再開発に向けた国鉄利権の確保にあった。東京都心の港区にあっ た旧国鉄の広大な汐留操車場は、民営化後、新都市拠点整備事業地区となり、現在では、わが国を代表する大企業の本社ビルが集中するビジネスの中心街になっ ている。
電電民営化では、NTT株の売出によって歴史的に弱い基盤しかなかったわが国の株式市場や証券会社について、その存在を国民的、世界的な規模で認知させ、 しかも、額面5万円のNTT株が、318万円もの最高値を付けて売買され、1980年代後半のバブル経済を牽引する注目銘柄となった。
民営化株式の売出と政府の資金調達
20世紀末、財政赤字の重圧と新規財源を求める各国の政府は、電気通信、電力、ガス、航空などの巨大国有企業を民営化し、株式会社に転換して、その膨大な株式を売却し、株式の売却代金を国庫に繰り入れてきた。
国家資金の調達をめぐる大口の民営化株の売出は,世界の株式市場で展開された。1996年のドイツテレコム株の売出は、アメリカの多国籍的な巨大投資銀行 ( 証券会社)ゴールドマン・サックス社などを介して、世界の株式市場で実施された。世界の主要な株式市場を独占する5~6社の多国籍的投資銀行(証券会社) は、民営化株の売出を通じて、国家相手の大口の証券ビジネスに参入し、その国の政府に民営化株の売却代金を提供し、その見返りに巨額の収益を実現してき た。
周知のように、日本電信電話公社の民営化によって、株式会社のNTTが誕生した。NTT株式を保有する政府は、国内の株式市場で、1987-8年にかけ て、3回にわたって530万株のNTT株式を売却し、株式バブルを反映して、総計10兆円を超える売却代金を得た。政府は、電電民営化によって新規に調達 できた10兆円の株式売却代金を、破綻状態に陥っていた国債の償還財源に繰り入れたのであった。
予定されている郵政民営化は、持株会社を設置し、郵政3事業も、それぞれ株式会社として再出発させる計画である。そうなると、NTTと同じように、新会社 の株式は政府によって保有され、多分、今度は、ドイツテレコム株のように、世界の株式市場で売却されることになろう。その時の株式売却代金がいくらになる のか、今のところ定かでない。
だが、今回の郵政民営化にあたって、株式の売却代金が10兆円を超えたNTT株の先行事例は、終戦直後に匹敵するほどの深刻な財政赤字に陥っている政府・財務省にとって、看過できない先行事例と見なされていることだけは確かである。
全国保険医新聞(2004年10月5日号)