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52.アベノミクスの危険な矢「シムズ理論」〜財政政策でインフレ起こし政府債務を解消〜



はじめに


 アベノミクスが行き詰まり、刀折れ、矢尽きた安倍政権は、海外から相次いで大物の政策提言者を招き、彼らの言動を利用し、アベノミクスの話題を振りまき、その有効性をアッピールしてきた。
 2017年1月、ノーベル経済学賞受賞者で「シムズ理論」提唱者のクリストファー・シムズ・米プリンストン大学教授が招かれ、国内の各種メディアで講演やインタビューの機会が与えられている。昨年7月には、「ヘリコプター・ベン」の異名をもつ米連邦準備制度理事会(FRB)のベン・バーナンキ前議長が招かれ、安倍首相・黒田日銀総裁は相次ぎ会談した。来日した両者に共通するのは、インフレを起こすにはどうするかについて、安倍政権に提言していることである。
 ここに来て政権の支持率は30%前後に下がってきた。支持率下落は、安倍首相本人と仲間内で固めた閣僚の相次ぐ不祥事もさることながら、この4年半の安倍政権の各種政策が、国民諸階層に貧困と格差を拡大する一方、大企業と大口投資家に莫大な利益をもたらしてきたことを、多くの国民が認識し始めたからであろう。
 失地回復を狙う安倍政権は、性懲りもなく、「シムズ理論」なる新しい矢を放ってきた。新しい矢の特徴は、金融政策で2%のインフレを実現できないなら、大胆な財政政策を動員し、インフレをめざすことにある。
 そこで、本稿の目的は、この4年半のアベノミクスの実績を踏まえ、安倍首相が「傾聴に値する」と言い、浜田宏一内閣官房参与に「目から鱗」と言わしめた「シムズ理論」なる矢の危険な本質について、戦後の歴史的教訓を振り返り、解き明かすことにある。

1 破綻したアベノミクスの次の矢


 「3本の矢」をもってアベノミクスが始動してから、4年半が経過したが、安倍政権が国民に示した当初の目的は、ことごとく未達成のままである。第1の矢の異次元金融緩和政策は、「デフレ脱却のため2年で2%の物価上昇」を達成するはずであったが、その目的は6回も延期され、「2019年度ごろ」に先送りされた。第2の矢の財政出動では、赤字国債を増発し、公共事業を復活増加させただけでなく、5兆円を超える「防衛予算」を組み、武器輸出の解禁とあいまって、戦争する国への危険な一歩を踏み出した。だが、税収は2016年度決算で1兆円近くも減らしている。第3の矢の成長戦略では、10年平均3%の成長率達成どころか、この4年半の平均成長率はわずかに1・1%にすぎない。逆立ちしても成長率目標の達成は困難である。アベノミクスは大失敗であり、破綻した。残されたのは、「異次元の負の遺産」である。
 政権維持のため、看板とキャッチフレーズをつぎつぎ変えてきた安倍政権が次に注目したのが、「シムズ理論」であり、ヘリコプターマネー政策であるようだ。

アベノミクスの「異次元の負の遺産」


 周知のように、安倍政権は、武器輸出を解禁し、安保関連法を強行採決し、戦争する国に道を開くなど、数多くの負の遺産を残しているが、ここでは財政金融政策に焦点を当て、アベノミクスのもたらした「異次元の負の遺産」について、さしあたって2点指摘しておこう。
 まず1点目の負の遺産は、政府が抱え込んでしまった1000兆円を超える政府債務(国債等発行残高)である。国債は、最終的には将来の税収によって返済されることになる政府の借金である。
 安倍政権誕生前の2012年度の普通国債発行残高は、705兆円だったが、2017年度には865兆円となり、この間で普通国債は160兆円も上積みされた。アベノミクスは国債の大増発に依存した政策でもあった。
 累積国債に抱えられた現代日本は、世界でも稀に見る政府債務大国にほかならない。政府の抱えこんだ政府債務(=国債等発行残高)の規模は、OECDのデータによれば、世界185カ国のなかでトップであり、飛び抜けて巨額である(図表1)。深刻なのは、債務の返済基盤となる自国の経済規模(GDP)と比較して日本だけが2倍を上回っていることである。この水準は、すでに第2次世界大戦下で軍資金調達のために軍事国債が増発され、終戦直後に抱えこんだ政府債務に勝るとも劣らない水準に達している。
 安倍政権下で国債の増発が急展開したのは、日本銀行が新規発行国債の発行高を上回る100兆円を超える国債を買い取ってきた(日銀による国債買いオペレーション)からである。日銀の国債買いオペレーションは、政府の発行する国債の日銀による間接的な引受となって機能した。国債発行の歯止めは無くなり、政府は金融市場の動向に縛られることなく、いわば無制限に国債を発行できた。
 その結果、第2点目の負の遺産を抱え込むことになる。日銀は、国債の大規模買いオペを繰り返すことで、価格変動リスクのある国債という金融資産を大量に抱え込んでしまった。国債だけでなく株式保有(表中金銭の信託(信託財産指数連動型上場投資信託))割合も、28・9%に達している。日銀の国債保有高は、日銀のバランスシート(図表2)の85・1%を占める427兆8917億円(2017年7月20日現在)に達している。アベノミクスの4年ほどの期間で国債保有額は300兆円ほども増大した。「円」という日本銀行券発行高100兆2808億円を4倍以上も上回ってしまった。日銀の保有する国債は、普通国債発行残高の48%に達した。なんらかのきっかけで国債価格が暴落すると、日銀と通貨「円」に対する信用は失墜し、「異次元の経済破綻」が発生することになる。
 このような「異次元の負の遺産」は、今後ますます深刻化すれども、改善される気配はない。しかも、この「異次元の負の遺産」は、一朝一夕では解決不能の負の遺産であり、問題解決の仕組みや方法、財源をどうするかなど、将来の永きにわたってつきまとうことになる。
 だが、ともかくも、当面の安倍政権にとって、未だ未達成の2%のインフレ目標を達成するにはどうするか、経済規模の2倍を上回るほどに抱え込んでしまった政府債務をどうするか、といった難問は重力のようにのしかかる。こののっぴきならない難問に応えてくれる「救世主」として注目されたのが、「シムズ理論」であり、ヘリコプターマネーである、といえよう。

浮上した「シムズ理論」とは

 2%の物価目標達成のために邁進してきた安倍政権だったが、4年半たっても、その目標が達成できず、刀折れ、矢尽きたところに、安倍政権の経済ブレインである内閣官房参与の浜田宏一・米イェール大学名誉教授が持ち出してきたのが、「シムズ理論」であった。その提唱者のクリストファー・シムズ・米プリンストン大学教授は、2017年1月に来日し、政策提言を行っている。
 安倍政権が注目する「シムズ理論」とは何か。ここでは、シムズ理論そのものの理論的な検討が問題ではない。「物価水準の財政理論(Fiscal Theory of Price Level=FTPL)」1) といわれる「シムズ理論」が実際の政策として展開された場合、経済社会、とくに国民生活にはどのような影響をもたらすのか、それが問題だからである。この点について、シムズ氏本人が、『週刊ダイヤモンド』編集部の直接インタビュー 2)で、以下のような政策提言を行っている。
 編集部「日本銀行が2%の物価目標を掲げて「量的質的緩和」を実施してきましたが、継続的な物価上昇は起こっていません。今、何をすべきなのでしょうか。」
 シムズ氏「日本は、金融政策と併せて、財政政策を実施していくことこそ必要です。・・・中央銀行が財政政策の支えを求める際は、債務の大きさを判断の基準とするのではなく、インフレ(物価上昇)を条件とすることが欠かせません。インフレ目標を達成するために、財政を拡大するということです。」
 編集部「日本銀行が取ってきた量的質的緩和は効かなかったということですか。」
 シムズ氏「金利がゼロ近傍になると、量的緩和だけでは、物価に影響を与えることはできないということです。」
 編集部「日本国民にはインフレに対するアレルギーがあり、容易に理解が得られるとは思えません。」
 シムズ氏「インフレとは、(預金者から最大の債務者である政府へ実質的に所得を移転させる意味で)税金です。ですから、本来的に人々にとって人気のあるものではありません。政府には国民に対して、政府債務の一部をインフレによって軽減させていく狙いがあるのだと、明確に示す政治的勇敢さが求められます。」
 シムズ氏と『週刊ダイヤモンド』編集部との問答からわかることは、安倍政権が目標にしている2%の物価上昇のようなインフレ目標を達成するためには、シムズ理論によれば、金融政策だけなく、財政赤字を気にすることなく財政政策による大胆な資金散布が不可欠である、ということである。インフレは、生活物資の価格高騰や預貯金の目減りとなって家計を直撃することになるが、この痛みは、「政府債務の一部をインフレによって軽減させていく」痛みなので、政府は、国民に対して「政治的勇敢さ」をもって政策を訴えていくべきである、というのがシムズ理論の政策提言の骨子である。シムズ氏の同様の政策提言は、『週刊エコノミスト』誌では、「私の提案は、人々に「財政支出拡大の目標は、インフレの創出である」と明示することだ。言い換えれば「政府の債務はインフレによって解消される」と理解してもらうことである。」3) と語っている。
 アベノミクスの屋台骨(第1の矢)であった日本銀行の「異次元金融緩和」では、結局、政権目標を達成できなかった安倍政権にとって、財政政策を動員してインフレを起こそうとするシムズ理論は、刀折れ、矢尽きた政権にとっての「救世主」ということになろう。
 だが、財政政策によってインフレを起こせるかどうかは、シムズ氏自身も、「それが成功するかどうかは、政策当局者が将来の民間の意識を変えられるかどうかに懸かっています。ただ、非常に難しいことであることは確かです。」と言っている。シムズ氏にインタビューをした『週刊ダイヤモンド』編集部も、「日本の現状では、財政拡大によってインフレを引き起こすことができるかというと、疑問が残る。」と指摘している。
 この指摘は、正鵠を射ている。賃金と可処分所得が切り下げられる中で、物価をあげることに邁進し、明るい将来展望を描けないどころか、経済の軍事化を促進し、戦争する国に舵を切った安倍政権のもとで、将来不安が増幅している国民の消費が活性化し、それに応じてインフレが発生するとの予測は成り立たない。貧困問題が深刻化する現代日本では、国民生活を破壊する重税も、インフレもなんとかして避けたい、というのが多数の国民の意思である。

インフレによる債務者利得は政府と大企業へ

 他方で、インフレを起こして政府債務を解消にするというシムズ理論は、1000兆円を超える政府債務を抱える政府にとって、願ってもない「救世主」となろう。ただ、国民は、インフレ物価高によって生活が破壊され、窮乏化を強要される。これは、いつか来た道でもある。終戦直後、ハイパーインフレによって政府債務が解消される一方、国民生活は破壊され、竹の子の皮を一枚一枚剥ぐように衣類や家財を少しずつ売りながら食いつなぐ「竹の子生活」の苦い歴史的な経験が思い起こされる。
 まずインフレが借金をしている側の債務者に利得を発生させるメカニズムに目を向けよう。債務者利得とは、借金し金銭を支払わなければならない義務を負うサイド=債務者が、インフレの進展に伴いマネーの価値が減価したことで、返済額の実質価値の目減りが発生し、返済の実質的な負担を減らすことで享受する利得である。借金の代表的なものは、各国政府の国債発行残高であり、企業の借入金や社債であり、家計にとっては住宅ローンなどである。
 インフレが進展すると、名目所得は上昇するが、すでに発行された国債・借入金などの返済元本や利子の金額そのものは変わらないので、実質的な返済負担が軽減することになる。1000兆円の政府の国債発行残高という債務も、たとえばインフレが10倍進展すると、実質成長率が低迷していても、名目成長率の上昇に伴ってゆくゆくは税収が10倍上昇することになり、その結果、1000兆円の実質的な返済負担は10分の1にまで軽減する。第2次世界大戦下に抱えこんだ莫大な軍事国債残高=政府債務を解消したのは、戦後直後に発生したハイパーインフレであったことが想起される。各国の政府債務の解消の歴史も、実質的な経済成長による税収増で解消した国はほとんどなく、インフレによる債務の実質的な解消によって、「解消」してきた。この点について、世界の政府債務危機の歴史を研究したジャック・アタリは、「増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、デフォルト」など、「主権債務の解消には、8つもの戦略があるが、常に採用される戦略はインフレである」4) と指摘している。
 政府や企業だけでなく、国民の中にも数千万円の住宅ローンを抱えた債務者が存在する。たしかにインフレは、住宅ローンの実質負担を軽減することになる。だが、政府債務・企業債務と違い、家計債務の返済資金は、賃金所得に依存している。賃金は、インフレに先立って引き上げられることはない。インフレで破壊された家計の窮状を改善するため、賃金の引き上げを企業に求める労働者の働きかけを企業が認めて初めて実現する。インフレ下の名目的な賃金上昇は、進行するインフレの後を追いかける形で実現するにすぎない。したがって、インフレによる住宅ローン債務が軽減する前に、生活物資の高騰が家計を襲うことになるので、生活は困窮する。
 それだけではない。もし住宅ローンの返済を変動金利で契約していたなら、毎月の返済額はおどろくほど跳ね上がる。というのも、インフレは金利上昇を伴うからである。住宅ローンの貸出サイド=銀行からすれば、インフレが進展しているのに、金利を据え置いたままなら、その分損失が発生するので、インフレの進展度合いに合わせて金利を引き上げるからである。
 たとえば、2620万円(2016年の住宅ローン全国平均額)を当初0・5%の変動金利で25年間で返済する場合、毎月の返済額は、9万2923円だが、5%のインフレ発生に連動して5年後金利が5%に上がると、毎月の返済額は14万33円に跳ね上がる。これでは、家計部門にとって、住宅ローンによる債務者利得など雲散霧消し、月々巨額の返済に追いまくられる。最近、財政破綻したギリシアの場合、住宅ローン金利の元になる長期金利(10年物長期国債金利)は最高で38・5%まで暴騰した。このように、家計部門は、インフレの被害に直撃され、賃金は遅れて上がり、さらに住宅ローン金利の上昇により返済額が増大する。したがって、「シムズ理論」の政策提言がそのまま実現し、インフレが進展したなら、家計部門・国民生活は、「弱り目に祟り目」、「泣き面に蜂」という悲惨な事態に直面する。
 これに対して、政府債務の場合、発行される国債の多くははじめから金利が固定された確定利付債なので、インフレが進展すればするほど、債務者利得に預かることになる。ただ、インフレに伴う金利上昇後に発行される新規発行国債の場合には、投資家に支払う金利を上げないと国債は発行できなくなるので、金利負担は増大する。とはいっても、国債の元利払いに向けられる資金は、国家の徴税権によって強制的に税収として保障されている。その負担分は納税者に消費税増税など、各種の増税となってかぶさってくる。
 企業債務の場合も、その返済は、インフレに便乗した商品価格やサービス料金の値上げ分を返済資金に回せるので、家計の債務返済とはまったく事情が異なる。むしろ、企業の場合は、政府同様、インフレによる巨額の企業債務の軽減=債務者利得の恩恵に浴することになる。ただ、企業といっても、地域経済や生活密着型の中小零細企業は、大企業や親企業からの高い仕入れ価格の負担が増大することになり、しかもその負担分を店頭の価格に転嫁できる可能性は小さいので、その経営は、国民生活同様、インフレによる困難をともなうことになる。

2 ヘリコプターマネーとインフレの歴史

 アベノミクスの次の危険な矢が財政政策をも動員したインフレ喚起にある時、インフレマネーの散布の仕組みに目を向け、また実際ハイパーインフレに襲われた戦後直後の日本の経済社会に目を向け、そこから歴史的な教訓を学ぶことは有意義といえる。

ヘリコプターマネー

 周知のように、「異次元金融緩和」という超金融緩和政策であっても、2%のインフレを実現することは不可能であることが、この4年半のアベノミクスの実績によって検証された。では、どうやってインフレ目標を達成するのか、そこで登場してきたのが、「シムズ理論」であり、ヘリコプターマネーであった。
 ヘリコプターマネーとは、ヘリコプターを飛ばし、空から満遍なく国民に現金をばら撒くような政策5)を示している 。これは、ベン・バーナンキ米連邦準備理事会(FRB)前議長がまだ理事だった時代に、「デフレ克服のためにはヘリコプターからお札をばら撒けば良い」と発言したことで話題になり、FRB前議長は、「ヘリコプター・ベン」との渾名がついた。
 ヘリコプターマネーの特徴は、何の対価もとらずに、現金をばら撒くことにある。現代日本の「異次元金融緩和」といった超金融緩和政策であっても、日銀が供給するマネーは、民間銀行の保有する国債を日銀が購入(買いオペレーション)し、国債という金融資産を日銀が受け取る見返りにマネーを供給しているのであって、決して現金をばら撒いているのではない。
 したがって、現金をばら撒くには、金融政策ルートではなく、政府が財政政策ルートから実施することになる。1988〜89年にかけ、政府は「ふるさと創生事業」の名目で、1億円の現金を各市区町村に配分したが、これを受け取った市区町村が純金のコケシなどを買ったり、公共事業に使ったりしないで、市区町村民に直接1億円を渡していたなら、国民に現金をばら撒いたことになる。交付金、商品券、地域振興券、子育て支援金、高齢者補助金など、名目は何であれ、政府は国民に現金をばら撒くことができるからである。
 しかも、現代日本では、たしかに戦前のように、日銀が政府から直接国債を引き受けるやり方で財政資金を供給していない。だが、日銀による国債の買いオペ額は100兆円を越え、ほぼ無制限に国債を購入しつづけているので、民間金融機関をトンネルにして、日銀から国債の消化資金が提供されていることになる。これは、事実上、日銀に依存し財政資金が調達(財政ファイナンス)されることを意味しているので、現代日本は、事実上のヘリコプターマネー政策下にある、ともいえる。
 仮に、政府が、「ヘリコプター・ベン」や「シムズ理論」の提言を実行し、ヘリコプターマネー政策に踏み出したら国民生活はどうなるか。たとえば、30万円の賃金で生計を営む家庭が、これとは別に30万円の現金を政府から受け取ったとしたら、一挙に60万円で生計を営めることになる。すると、商品を売る企業サイドにすれば、価格を2倍にあげても国民の購買力はヘリコプターマネーのおかげで30万円から60万円に倍増しているので、商品は売れると判断し、価格を2倍近くまで引き上げるであろう。
 実体経済の成長を伴わない中で、国民がヘリコプターマネーを受け取り、使えるマネーの量が2倍に増えたなら、マネーの価値は半分に減価する。マネーの価値が半分に減価するということは、国民が預貯金として積み立てているマネーの価値も半分になることを意味する。物価が2倍になっているので、いままで蓄えてきた預貯金を引き出し、それで買い物をしょうとしても、購入できる商品は半分にしかならないからである。
 すなわち、ヘリコプターマネーとは、国民に現金をばら撒いているように見えるが、その本質は、政府が強制的にインフレを起こし、国民の預貯金を巧妙に引き出して、政府債務を解消する政策でもある、といえる。

終戦日本のインフレ・預金封鎖と国民生活

 インフレによって政府債務を解消するヘリコプターマネーや「シムズ理論」の実例は、終戦直後の日本である。
第2次世界大戦の戦費調達は、政府が発行した国債を日銀が直接引き受けるやり方で断行された。戦時下の爆撃で経済規模は30%も縮小し、物資が破壊され、モノ不足・供給不足のところに、軍事国債の日銀引受で調達されたヘリコプターマネーが財政ルートから軍需企業へばら撒かれたので、爆発的なインフレが発生し、国民生活は破壊された。
 戦後70年の特集を組んだ各紙 は、当時のインフレと国民生活の実情を以下のように伝えている。「1946年に年間28円61銭だった光熱費は48年には13・9倍の397円36銭に、540円79銭だった主食費は10・5倍の5662円67銭に――。 
 兵庫県芦屋市の矢野靖子さんは3年前に93歳で亡くなるまで70年以上、家計簿を付け続けた。婦人誌の愛読者団体が刊行した「全国友の会家計報告」に載せた手記には「闇市で買ったさつま芋は1貫目(3・75キロ)300円の高値でした」との記述もある。サラリーマン世帯だった46年当時の矢野家の平均月収は190円。終戦直後のすさまじい物価上昇に苦しむ庶民の暮らしが浮かび上がる。
 敗戦処理のための巨額の財政支出とモノ不足で、日本は激しいインフレに見舞われ、政府は46年2月、「新円切り替え」のための預金封鎖に踏み切った。国民の手持ちの紙幣を一定額だけ新紙幣に引き換え、残りは強制的に銀行へ。あふれるお金を預金に封じ込める荒療治だった。矢野さんは「貯金が引き出せず(夫の)会社から融資してもらった」と苦労をつづっている。」6)。
 マクロ統計の数値ではなく家計簿は、インフレ下の生活実態をいきいきと描き出す。2年間で光熱費が13・9倍、主食費が10・5倍も値上がりするようでは、生活は成り立たない。
 それだけではない。この爆発的なインフレを抑えるために政府がとった措置は、いままで使っていたマネー「円」の使用を禁止し、新円に切り替えるための預金封鎖であった。急展開するインフレはマネーの価値を急激に減価させるので、預金のままにマネーを蓄えておくとマネーはほとんど無価値なものになってしまう。そこで、預金を早く引き出してインフレに強い投資物件でマネーを蓄えようとしても、預金は封鎖され、引き出すことができない。目先の利く投資家が、先回りして預金が封鎖される前に引き出し現金として持っていても、今まで使えていた旧円は新円に切り替えないと取引に使うことができない。旧円と新円の引き替え額は一人わずか100円にすぎない。
 つまり、どう転んでも国民の預貯金は、政府のとったインフレ対策の前に無価値にされてしまったことになる。このような国民収奪は、金融緊急措置令(1946年2月16日)によって断行されたが、当時の政府・大蔵省は、「戦時中は一億総玉砕だと言っていた。もう一度、死んだと思ってやるしかない」7) との認識で、戦費のツケを国民の犠牲で埋め合わせた。
 インフレで物価は暴騰しているのに、給与は月500円だけ新円で払われるにすぎず、預貯金を取り崩し生活費に充てようとしても、世帯主による一ヶ月300円が許可されるだけとあって、国民の生活は、竹の子の皮を一枚ずつはいでいくように、手持ちの着物などを売って食いつなぐ「竹の子生活」を強いられた。

 インフレで利益を拡大する大企業

 国民生活の窮乏とは裏腹に、インフレを利用して利益を拡大してきたのが、大企業である。インフレが発生しても、原材料資源の高騰を商品価格に転嫁できる大企業にとって、むしろインフレを利用し利益を拡大してきた。それは、オイル・ショック後の「トイレットペーパー騒動」に象徴される1974〜5年の「狂乱物価」の下で検証される。
 周知のように、1974年1月1日、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)は、それまで1バーレル3ドル1・1セントの原油価格を11ドル65・1セントへ、4倍近くも引き上げたため、世界経済に激震が走り、世界各国の物価は一様に高騰した。日本の1974年の年間物価上昇率は、卸売物価で29%、消費者物価で19・1%を記録した。
 原油価格の大幅上昇は、企業にとって原材料資源コストの大幅上昇となるので、企業は損失を計上したかといえば、そうではなく、逆に収益を大幅に伸ばしたのであった。企業の増益率は、1973年下期から1974年上期にかけ、40・6%を記録した。その理由は、コストの上昇分をはるかに上回る大幅値上げを行ったからであった。
 企業は、インフレ物価高という経済環境の激変を利用し、逆に自社製品の価格をつり上げ、むしろ利益を拡大したのであった。当時特集を組んだ『エコノミスト』誌の表現を借りれば、「大企業主導による先取り的価格引き上げ」 が行われていた。この点について、日銀も、当時の企業の収益構造の変化に注目し、以下のように指摘している。「今回は増益率自体が大幅となっているが、利益増の要因中売上数量増の寄与は比較的小さく、むしろ製品価格上昇によるところが圧倒的に大きくなっている。」8) 。
 インフレ物価高を利用して利益を拡大することのできる企業は、独占的な市場占拠率をもち、コストの上昇を製品価格に転嫁できる大企業に限られる。中小零細企業は卸売物価の高騰に直撃される。また、年間で169・1%も暴騰したちり紙をはじめ、国民生活関連物資を襲ったインフレ・物価高は、19・1%の消費者物価の上昇となって、国民生活に困難をもたらした。

3 政府債務で稼ぐ国債投資家

 「シモズ理論」がターゲットにする1000兆円超えの政府債務といった問題だけに目を向けると、それは次のような重大な問題を見過ごしてしまうことになる。
 国債は政府にとって借用証書であるが、内外の投資家にとっては、利子の支払いも元本の償還も政府が保障する金融商品にほかならない。国債が増発され、発行残高が大きくなればなるほど、大掛かりの国債ビジネスが実行でき、巨額の利子収入や売買益などが享受できる。金融機関やファンドなどの大口の投資家にとって、財政赤字こそビジネスチャンスなのである。
 実際のところ、日本の国債売買市場は、国債バブルを誘発するアベノミクスの異次元金融緩和政策に支えられ、1京円市場という天文学的な規模にまで達している。

財政を収益源にする国債投資家

 国債は、政府が財政資金を税金でなく、借金で調達するときに発行する借用証書(国庫債券=略して国債)である。だが、この借用証書を購入し、政府に財政資金を貸し付けた国家の債権者=国債投資家サイドにすれば、政府が責任を持って、一定の利子と元本の償還を行うので、国債は安定的な収入源となる。国債投資家にとって、財政赤字が深刻になり、国債が増発されればされるほど、ますます多くの利子を受け取り、元本も償還してもらえる。
 国債の元利払い(利子と元本の支払い)は、国家の租税制度に支えられているので、景気に左右されることもなく、確実に実行される。現金が必要な時は、1京円に達する巨大市場で、自由に売却し現金化できる。株式や社債のように発行元が倒産し紙くずになる心配(信用リスク)もないので、高い格付をもつ。これが金融商品としての国債にほかならない。
 国債発行の歴史は古く、すでにマルクスは、国債の本質や役割について、現代を見透かすような指摘をしている。
 すなわち、国債の累積とは、「租税のうちからある金額を先取りする権利を与えられた国家の債権者という一階級の増大以外のなにものでもない」9) のであって、国民諸階層は、このような国家の債権者(国債投資家)に納税というやり方で利益(国債の元利金払い=一般会計予算の項目では「国債費」、2017年度で23兆5285億円)を提供することになる。したがって、マルクスが指摘するように、国債投資家にとって、「国家が負債に陥ることは、むしろ直接の利益になった。国庫の赤字、これこそまさに彼らの投機の本来の対象であって、彼らの致富の主源泉であった」10) 。
 国債投資家にとって、国債が安定した「致富の主源泉」でありつづけるためには、その支払原資を提供する安定した租税制度が不可欠である。その結果、累積国債を抱え込んだ国々では、消費税などの租税制度は、国債投資家に利益を支払うための制度に変質してしまう。この点、マルクスは、「国債は国庫収入を後ろだてとするものであって、この国庫収入によって年々の利子などの支払がまかなわれなければならないのだから、近代的租税制度は国債制度の必然的な補足物になったのである」11) 、と指摘する。
 日本のような政府債務大国では、ともすると財政赤字や政府債務の返済だけに目が奪われがちになり、増税もやむを得ないのではないかといった風潮がつくりあげられるが、マルクスの指摘は、それがいかに一面的で誤った認識に過ぎないか、を再認識させてくれる。国債の累積とは、国家財政を収益源にする国家の債権者(内外の国債投資家)という階級の増大を意味し、財政危機が収入源となる国債ビジネスを活発化させているのである。
 この点が重要なのは、政府債務の返済にあたり、「シムズ理論」やヘリコプターマネーのようにインフレを起こして債務を解消したり、消費税増税など、国民負担に直結する政府債務の解消ではなく、国債を安定した「致富の主源泉」としてきた金融機関や大口投資家から応能負担してもらうもう一つの解消のルートがある、ということを示唆しているからである。

国債バブル市場で稼ぐ投資家

 現代日本の国債売買市場は1京円という天文学的な規模にまで膨張した一大バブル市場になっている。このような国債バブルは、安倍政権下のマイナス金利など異次元金融緩和政策に支えられている。
 この点について、前日本銀行金融研究所所長の翁邦男氏(現京都大学教授)は、以下のように指摘する。「償還価格が確定している国債は理論的にはバブルが起きにくい資産と考えられてきたが、中央銀行が損を被ることで政策的に国債バブルをつくれるというのがマイナス金利付き量的・質的緩和を可能にするメカニズムということになる。・・・しかし、国債を買った投資家は損失を覚悟しているわけではなく、日銀に売り抜ける利益を期待しているに過ぎない。」12) 、「日銀が損失を負担し償還価格以上の価格で国債を買うということは、日銀が長期国債市場で政策的にバブルを作っている、ということを意味する。」13) 。
 アベノミクスと日銀によって作り出された官製国債バブルに支えられ、三菱UFJ・みずほ・三井住友の3メガバンクが稼ぎ出す国債売買差益は、各年によって変動するが、たとえば、2013年3月期の国債売買差益は、3メガバンク合計で、3087億9700万円に達した。この国債売買差益は、3メガバンクの当期純利益の14・0%を占めた。1京円市場からあがる投機的な国債売買差益がメガバンクの主要な収益源になっていた。なかでも最大のメガバンク三菱UFJFGの場合、当期純利益の19・8%を国債売買差益に依存していた。実体経済が不況に陥っても、活発化する国債ビジネスは、内外の国債投資家の致富の源泉になっている。
 他方で、官製国債バブルを作り出したサイドの日本銀行は、100兆円を上回る国債の買いオペを繰り返すことで、すでに指摘したように、日本銀行券発行高を4倍以上も上回る国債を抱え込んでしまい、それは普通国債発行残高の48%に達した。なんらかのきっかけで国債価格が暴落したなら、日銀と通貨「円」に対する信用は失墜し、日本は歴史上例をみない経済破綻に直面するであろう。

まとめにかえて〜応能負担による破綻回避〜

 現代日本は財政破綻に直面しつつあるが、問題は、この財政破綻の繕い方である。国民に一方的に負担させるのか、それとも経済的に負担できる能力のあるものに負担させるのか、その選択肢が問われる時機を迎えている。
 「シムズ理論」やヘリコプターマネー政策は、財政破綻の犠牲を国民生活に押しつける。これは70年前の終戦直後に辿ってきた道である。これに対して、負担できる能力を持つサイドから財政資金を調達し、破綻を回避する道がある。現代日本で応能負担を求めるなら、3メガバンクを中心とした大手銀行、390兆円の内部留保金を貯め込んでいる大企業、349兆円に達する対外純資産、などの活用が検討されよう。

脚注

1. シムズ理論は、2016年8月、各国中央銀行関係者の集まったアメリカ・ワイオミング州のシンポジウムでのシムズ氏(Christopher A. Sims)の講演(〝Fiscal Policy, Monetary Policy and Central Bank Independence〟)を機に注目された。その特徴を「物価水準の財政理論」と命名したのは土居丈朗氏であるが、土居氏自身も、「物価水準の財政理論は、学界でも発展途上の理論である。この理論を、安直に財政出動を正当化するものに用いてはならない。」と指摘している(「東洋経済オンライン」2017年1月9日)。
2. 「特別レポート シムズ教授本人が解説、デフレ脱却の新手法「シムズ理論」」(http://diamond.jp/articles/-/117435)、『週刊ダイヤモンド』2017年2月10日。
3. 「クリストファー・シムズ 米プリンストン大学教授インタビュー「政府債務、インフレで解消」明示を」『週刊エコノミスト』2017年2月14日号
4. ジャック・アタリ・林昌宏訳『国家債務危機』作品社、2011年1月、175ページ。
5. ヘリコプターマネーに言及した論考は多くあるが、たとえば、「特集:ヘリコプターマネーの正体」浜矩子「空から毒入りの紙幣が降るとき」『週刊エコノミスト』2016年7月16日号、佐々木融「コラム:ヘリコプターマネーの悲劇」(http://jp.reuters.com/article/column-forexforum-tohru-sasaki-idJPKCN0WQ0RJ?sp=true)FX Forum 、2016年3月 25日、唐鎌大輔「コラム:円の価値を「叩き壊す」ヘリマネ議論」(http://jp.reuters.com/article/column-forexforum-daisuke-karakama-idJPKCN0ZV0R2?sp=true)FX Forum、2016年7月16日、などを参照。
6. 「戦後70年:暮らしと経済・3家計簿の「悲劇」度重なるインフレ」『毎日新聞』2015年8月15日。
「戦後60年の原点:シリーズ・あの日を今に問う 新円切り換え(その1)」『毎日新聞』2006年2月15日。
7. 「特集 石油で噴出した企業危機 仕組まれた石油危機への告発状 危機を演出した少数者たち」『エコノミスト』1974年2月12日号、12ページ。
8. 日本銀行調査月報『昭和48年の金融経済の動向』1974年増刊号、62ページ。
9. マルクス『資本論』第3巻、大月書店・国民文庫⑦、1972年、284ー285ページ。
10. マルクス『フランスにおける階級闘争』(大月書店・国民文庫、33ページ。
11. マルクス『資本論』第1巻、大月書店・国民文庫③、427ページ。
12. 翁邦男「「マイナス金利付き量的・質的緩和」とは何か」『世界』2016年4月号、99ページ。
13. 翁邦男「需要先食いで自然利子率低下もQQEで国債バブルを醸成」『エコノミスト』2016年4月19日号、31ページ。





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