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HP New face 3.jpg第2版:99%のための経済学入門.jpg  ようこそ、Netizen越風山房へ。ここは、わたしたち99%の平穏な暮らしをエンジョイするための情報発信サイトです。世界第3位の「経済大国」の豊かさはなぜ実感できないのでしょうか。株価と円・ドル相場・1000兆円の累積国債に振り回される経済から脱出しましょう。We are the 99% !! 1人1人が主権者です。この国のあり方は私たちが決めましょう。

経済社会評論集

16.歴史的な転換期にある経済-いまどんな時代-

はじめに

 国民に将来負担を強いる年金法案が衆議院を通過した。だが、法案を提出するサイドの首相や閣僚たちが、年金に未加入だったり、未払いだったり で、およそ法案を提出する資格を問われるような事態が発覚した。しかも国民年金未払い議員の多くは、国民の平均所得や資産の水準をはるかに超過する「お金 持ち」でもあった。
 また、長期大不況の中で、多数の中小企業と地場産業の企業倒産や勤労者の完全失業率は、依然、歴史的な高水準にあるのに、大手上場企業の利益は、この3月 期決算で、最高益を記録した。トヨタ自動車にいたっては、税引き後の純利益で1兆円を超過し、製造業では、実質世界一の利益を稼ぎ出している。
改めて再確認しておこう。世界第2位の経済大国日本のGDPの6割を占めているのは、家計部門であり、勤労者の存在こそ、経済の主役である、という事実である。
 、主役が脇役に落とし込められ、しかもつぎつぎにリスクを転嫁される時代に入ったようだ。いったい、いま、どんな経済の時代なのだろうか。どんな仕組みで経済が動いているのだろうか。

経済のグローバル化と国内産業・雇用の空洞化

 ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に移動できる時代になると、各国の経済は、否応なしに世界経済の影響を受けるようになる。
 特定の言語、国土、生活スタイル、通貨などで構成される国民経済の主役は、国民・家計部門であった。
だが、世界経済=世界市場の主役たちは、今のところ、小さな国のGDPの規模すら上回るほどの経済力を持つ巨大な多国籍企業や金融機関である。1兆円の純 利益を稼ぎ出したトヨタ自動車にしても、その売上高(17兆3000億円)の66%は海外である。日本国内での売上高は、33%を占めるに過ぎない。
 資本主義経済とは、企業の利益追求が最優先される経済である。そのため、企業は、安く造れて、高く売れ、利益が実現できるなら、先を争って、地球の果てまでもビジネスのフィールドに組み込んでいく。はじめから「資本に国境はない」のである。
 規制緩和が推進され、国境を越えた自由移動を制限してきた各国の法的な規制が撤廃されると、世界の巨大な多国籍企業や金融機関は、地球を舞台にしたビジネスを自由に展開できるようになった。
 人件費の高い先進国での人員は整理・解雇され、工場やオフィスなどの生産拠点は、人件費の安い国に移転する。その結果、国内産業と雇用は空洞化し、大量の 失業者が排出される。横浜の工場では、月37万円を払うのに、中国の大連では1万円で済むなら、横浜の工場は、閉鎖され、大連に移転していく。横浜ではそ れだけ就業機会も減り、所得も減退し、「街の活性化」のかけ声とは裏腹に、地域経済は衰退する。このような事態が日本全国で発生している。
 海外に進出した日本企業が海外で雇用した従業員は、345万人もいるのに、日本国内の完全失業者は、319万人に達した(2000年現在)。
 このような事態を前にすると、ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に移動できることは良いことだ、とは単純に云えない。経済のグローバル化は、各国の国民経済のあり方に、深刻な問題を生じさせているのである。
世界経済を襲う「21世紀型危機」
 とくに、国境を越えたカネ(マネー・資本)の自由移動は、一国の国民経済に壊滅的な打撃を与えてしまう場合もある。
 物的な属性をもち、時間と空間によって移動が制限されているヒトやモノの流れとちがい、カネ(マネー・資本)は、地球上に張り巡らされたコンピュータのネットワークの中を一瞬にして移動する。
 数百億円、数千億円のカネ(マネー・資本)であっても、新しい有利な投資先を発見したり、現在の投資領域にリスクを予測すると、一瞬にして引き上げられ、 新分野に移動する。カネ(マネー・資本)が引き上げられた市場や国民経済は、相場の急落、資本不足、経営破綻に陥り、やがて、通貨危機、経済危機を誘発す る。
 巨大マネーを操る金融投機集団・ヘッジファンドのグローバルなマネーの運用は、1997-98年にかけて、タイ・バーツの通貨投機をきっかけにして、東南 アジアーロシア・東欧ム中南米の国々の経済的な混乱(証券市場の大暴落、企業倒産、大失業の発生、生活危機と社会不安の拡大)を誘発し、連鎖的な経済危機 に陥れた。
 有利な利殖先を求めて地球上をリアルタイムで移動する巨大マネーが、世界経済を混乱と危機に陥れる時代がやってきた。これは、資本主義経済の従来型の景気循環や経済不況とはちがう新しい経済危機=「21世紀型危機」ともいえる。
 カネ(マネー・資本)の論理はきわめて明快である。この点について、アメリカの『 ニューズウイーク』誌(1994年10月3日)は、つぎのように指摘していた。
 「市場の強制力は,無邪気なほど無慈悲になることができる。弱者は容赦なく切り捨てるのが資本の論理だから,弱者や低所得者に優しい国に,資本は寄りつかない。富裕層に高税を課せば,資本は逃げていくから,貧富の差はますます広がる一方であろう。」
 カネ(マネー・資本)の論理がグローバルに浸透し、それに応じて、所得格差や貧富の格差が地球的な規模で拡大する、といったこの指摘は,グローバル化した経済の果てに,現代人が見ることになった一般的な出来事である。

「構造改革」の推進と不況の深刻化

 世界が、「21世紀型危機」のもとに置かれた現在、不安定化する経済をどのように安定化させるのか、あるいは、冷酷なカネ(マネー・資本)の 論理をどうやって封じ込めるのか、とくに長期大不況に沈む日本経済の改革とは、不況の荒波を直接かぶっている中小企業や勤労者の経営と生活の安定のための 改革こそが最優先の課題であり、それが現代日本経済の構造改革の主要なテーマのはずであった。
 だが、20世紀末に集中的に実施された金融システムの大改革(「金融ビッグバン」)は、国内外の金融業やマネーの流れをさらに自由化する一方で、大衆投資 家や個人顧客が被るであろうリスクに対するセーフティネットについては、不十分なままにとどめた結果、わが国では、金融経済は、いぜん、不安定構造のまま であり、そのリスクが政府・日銀などの公的機関や家計部門・国民諸階層に転嫁される仕組みを脱していない。
 長期大不況対策にしても、「改革なくして成長なし」といった「骨太方針」は、その方針が徹底されればされるほど、さらに不況を深刻化させる、といったパラドックスのような経緯をたどってきた。
 理由は、ハッキリしている。不良債権の処理を最優先させているからである。不良債権とは、直接的には、貸した金が返済されない銀行にとっての帳簿上の問題 である。もちろん帳簿は健全であるに越したことはないが、不良債権の処理を急ぎ、金を借りた企業に借金の返済を迫り、場合によっては、倒産させてまで債権 を回収しようとすると、企業のリストラや倒産が相次ぎ、不況はますます深刻化せざるをえなくなる。
 したがって、不良債権の処理を最優先させる「骨太方針」では、多くの企業を倒産やリストラに追い込み、失業者を排出させることになる。もっとも、このよう な弱い企業の倒産、市場からの退場こそが経済活性化にとって重要である、と見なすのが、現在行われている痛みを伴う「構造改革」にほかならない。
これでは、経済全体の安定にはつながらない。せいぜい不良債権と無縁な「優良」大企業の優位性をますます高めるに過ぎない。しかも、こうした「優良」大企業の主要なビジネスフィールドは、もはや日本国内でなく、グローバル経済の中にある。
 景気は2極化し、ごく少数の「優良」大企業の業績が好転する一方で、多数の企業や個人、家計部門はいぜん深刻な不況の長いトンネルの中に放置されることになる。これがこの10年以上の日本経済で経験しつづけている事実、である。

将来所得の「先取り消費大国」日本

 銀行の不良債権処理を最優先させる「構造改革」が、不況を深刻化させ、不況が深刻化するとさらに不良債権が積み上がる、といった悪循環に陥っている。
 そこで、大量国債の発行によって調達した政府の借金を、財政ルート通じて散布する従来型の景気回復策を推進しつつ、さらに金融システムの安定化のために日 本銀行を動員し、歴史上経験したことがないようなゼロ金利政策、超金融緩和政策を徹底させ、そのうえ、株価下落で含み損を抱える銀行の保有株式を買い取っ てやる、といった「奇策」まで繰り出した。
 その結果、国債残高は、450兆円ほどに膨らみ、年々の利子支払いでも、一般会計の2割近くに及ぶ借金大国となった。長期国債の場合には、60年間かけて 償還されるので、たとえていえば、これから稼ぐであろう60年後の将来所得=将来取り立てる税金をすでに450兆円も先取り消費し、使い切ってしまったこ とになる。
 本来「物価の番人」であり、通貨価値や金融システムの安定を目的にしている中央銀行=日銀を、事実上の景気対策に動員したリスクも深刻である。ゼロ金利と は事実上これ以上公定歩合(現在0.01%)を下げられないわけだから、あとは上げるしかない。つまり公定歩合政策は破綻した。残されたのは金利の引き上 げだけであり、それは、国債相場の値崩れを誘発-長期金利の上昇-国債金利の引き上げー国債利払い費の上昇-国庫負担の増大-国民の租税負担の増大、と なって家計部門を直撃する。

『群馬評論』99号、群馬評論社、2004年7月
  【やまだ ひろふみ・群馬大学教育学部教授】(e-mail : yamachan@edu.gunma-u.ac.jp)


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