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HP New face 3.jpg第2版:99%のための経済学入門.jpg  ようこそ、Netizen越風山房へ。ここは、わたしたち99%の平穏な暮らしをエンジョイするための情報発信サイトです。世界第3位の「経済大国」の豊かさはなぜ実感できないのでしょうか。株価と円・ドル相場・1000兆円の累積国債に振り回される経済から脱出しましょう。We are the 99% !! 1人1人が主権者です。この国のあり方は私たちが決めましょう。

25.財政赤字と累積国債の経済学

1. はじめに

 戦後日本経済と財政のあり方は、いま、抜本的な見直しを迫られている、といってよい。周知のように、わが国は、「財政赤字大国」に転落する一方、増発され、累積した国債は、もっとも信用度の高い金融商品として、2007年度には、1京円を超える規模の売買高を記録した。
 経済成長を最優先し、景気が低迷するたびに大型公共事業が断行され、政府が不況を買い取ってやる経済政策がつづけられてきた。しかも、その資金は、一般会計を発行母体にした国債の発行に依存してきた。
その結果、わが国は、深刻な財政赤字に陥ってしまった。他方で、財政赤字をファイナンスするために増発された国債は、新しい金融市場(国債市場)を誕生させ、そこでは空前の売買取引が行われている。
 本稿では、深刻化する財政赤字の現状と、その背後で営まれている国債市場を舞台にした金融ビジネスに光を当てる。そこに見えてくるのは、財政赤字が新たなビジネスチャンスを提供し、不況にもかかわらず金融機関と投資家に安定的な金融収益を保障してきた事実である。

2. 天文学的な財政赤字とリスク転嫁

 インターネットの検索ソフトを立ち上げ、「リアルタイム財政赤字カウンタ」のキーワードで検索すると、いまこの瞬間のわが国の財政赤字の金額 が、時々刻々とカウントされているサイトにヒットする。サイトによって数値は若干異なるが、国と地方を合計した債務残高は、1000兆円前後に達し、毎秒 その金額が増大する様子が見て取れる。
 国の財政赤字総額889兆3814億円の内訳(2009年3月末見込み)は、国債残高689兆7879億円、借入金残高57兆5856億円、政 府短期証券残高142兆81億円である(財政データは財務省のHP)。わが国は、自国の経済規模(GDP)のほぼ2倍に達する政府債務を抱える世界有数の 「財政赤字大国」にほかならない。
 OECDの国際比較によれば、日本政府の財政赤字は、OECD28カ国のなかで最悪であり、対GDP比率(2009年)で170.3%に達し、 2位のイタリア116.8%を大きく引き離し、アメリカ69.8%、ドイツ63.1%、イギリス52.3%、フランス72.6%、などと比較しても異常に 突出している。OECD28カ国の平均は、わずか77.6%にすぎない( OECD Economic Outlook No.83 , 2008 , Annex Table 32. General government gross financial liabilities )。
 財政赤字の内訳では、一般会計を発行母体にした普通国債の発行残高が最大のウエイトを占めている。普通国債の発行残高は、2008年度末現在 で、ほぼ553兆円に達している。これは、国民1人当たり、約433万円、4人家族なら、約1732万円になる(財務省財務総合研究所編『財政金融統計月 報』No.673、2008年8月)。
 政府の借金は、最終的には、国民の租税によって返済されることになるので、日本国民は、いつの間にか莫大な借金を抱えこんでしまったことになる。しかも、代表的な国債銘柄の10年物長期国債の償還期限は60年間にわたるので、莫大な借金は、将来世代にも引き継がれていく。
 天文学的な国債発行残高を抱えこむことで強要される巨額の利子の支払いは、他の財政支出を圧迫している。2008年度の一般会計歳出総額の 24.3%、つまり予算の約4分の1は、過去に発行した国債の利払い費(「国債費」)として費消される。他方で、政府の財政運営は、社会保障費を毎年 2200億円も削減してきたので、社会保障は、歳出総額の26.2%に止まっている。累積国債の借金の支払いは、社会保障の予算と肩を並べるところまで やってきた。
 国民の生存権を担保する社会保障予算が、累積国債の重荷によって押しつぶされつつある。累積国債の重荷は、広く国民に転嫁されている。

3. 経済成長優先政策への固執と破綻

 財政赤字が深刻化し、財政再建を掲げる政府は、つねに増税を口にしているが、増税のターゲットにするのは、もっぱら個人・家計部門が負担する消費税であり、企業の負担する法人税は、むしろさらに減税しょうとしている。
日本財政学会第64回大会(2007年10月)のメイン・シンポジウムでのパネリストたちは、このような税制改革の意義とその背景について、以下のように発言している。
 すなわち、「アメリカではかねてより法人税を付加価値税に代替するという提案がされてきたわけですけれども、日本でもいま、こうした主張が出て きています。この背景は、法人税減税によって経済の活性化を図るとともに、消費税という安定財源を確保する必要があるということです。ある意味では経済成 長と財政再建の両立を図る税制改革ではないかと思いますが、法人税減税、消費税増税という税制改革をどのように考えるのかが論点の1つのだと思います。」 (日本財政学会編『財政再建と税制改革』有斐閣、2008年10月、7ページ)。
 つまり、経済成長のためには法人税の減税が必要であり、安定財源を確保するためには消費税の増税が必要である、という視点に立った税制改革である。
 このような税制改革は、多くの問題を抱えている。まず、法人税減税を優先する経済成長の中味が問題である。かつての高度経済成長期に、「くたば れGNP」といった標語がメディアでさかんに登場したが、それは、経済成長は実現したのに、国民生活は疲弊し、公害問題も深刻化し、けっして豊かな社会に ならなかったからである。今回の税制改革も、再び三度、この轍を踏もうとしている。
 財政再建と安定財源のために消費税を増税する税制改革は、そもそも天文学的規模にまで膨張した財政赤字の原因は、経済成長と景気回復を最優先した財政運営にあったことについて何も反省せず、むしろその責任を免罪している。
 こうした税制改革は、市場経済と民間企業への市場原理主義ともいうべき盲目的な追随と信仰に根ざした「改革」であり、国民生活を犠牲にし、財政赤字を温存したまま企業部門にだけ富を集中する結果を招くことになる。
このシンポジウムには、財務省の主計局主計官がパネリストとして発言している。主計官は、財政再建にとって、「まず必要なのは歳出抑制と経済成 長」であり、「社会保障の歳出自体を抑えるということ・・・・経済成長の伸び以上に年金の給付が伸びることを押さえていく必要があります。」、と発言して いる(同上書、10ページ)。
この主計官の発言からも、わが国の政策当局は、市場原理主義に立った政策運営を行っていることがわかる。残念ながら、そこには憲法第25条で宣言している国民の生存権を尊重する姿勢は見えない。
 あたかも枕詞のように使用される「まず経済成長」といった発想と財政運営は、戦後日本の経済を貫く1本の太い柱であった。賃上げも、社会保障 も、それを実現したかったなら、経済を成長させなければならない、それまで待て、という態度は、野蛮な戦時下に軍の指導者が国民に呼びかけた「欲しがりま せん、勝つまでは」という態度に通底している。
 だが、こうした主張を繰り返す政策当局は、成長を続けた日本の経済規模は、すでに1960年代末までにイギリス、フランス、ドイツ(当時の西ド イツ)を追い抜き、その時点からすでに40年近く経っているのに、「経済大国日本」の国民生活は、これらのヨーロッパの国民生活よりもはるかに豊かで、 勝っている、とはいえない現実に目をつぶっている。

4.  効果的な景気対策は公共事業より社会保障

 戦後日本の経済成長政策の主要な柱は、道路、橋、工場団地など産業関連のインフラを中心にした大型公共事業であった。建設国債を大量に発行し、借金によってえた財政資金で公共事業を行ってきた。不景気なると、さらに大規模な公共事業予算が組まれた。
 1990年代には、「日米構造協議」により、日本の内需拡大策として10年間に430兆円(その後630兆円に増額)を実施するとの対米公約から、まさに天文学的な大型公共事業が実施され、財政赤字が一挙に拡大した。
まだ建設業や製造業などの第2次産業がわが国の産業構造において主要な地位を占めていた1960-70年代まで、公共事業などの産業基盤の整 備・充実は、経済成長や雇用促進策としても、一定の有効性を発揮した。だが、産業構造は、経済成長と技術革新にともなって急激に変化し、もはや建設業や製 造業ではなく、卸売・小売業、医療・福祉、飲食店などのサービス産業・第3次産業が支配的な産業になってきた。
 現代日本の6000万人の就業者たちを、産業別の割合(2005年)でみると、第1次産業5.1%、第2次産業25.9%、第3次産業67.3%であり、7割近くの人々がサービス産業・第3次産業に従事している。
 したがって、従来のように、道路を造り、橋を架け、といった公共事業によって、直接恩恵を被る人々の割合は、第1次産業と第2次産業の従事者を 合計しても、6000万人の就業者全体の3割台にすぎない。残りの7割台の人々にとっては、従来型の公共事業は、直接的な恩恵はなく、就業機会を拡大する でもなく、むしろ家計の負担を重くする財政赤字の原因になっている。
 そのうえ、戦後の大型公共事業は、大手ゼネコンとそのグループのネットワークのなかに囲い込まれ、利権の構造ができあがっているため、北海道から沖縄まで、全国に散在する中小工務店・土建業・地場産業にまで、資金と仕事が回っていかない。
 そのため、公共事業の景気対策効果も弱体化してきた。いま予算1兆円の経済効果について、生産への波及効果と雇用機会の創出を比較してみよう (『朝日新聞』、1999年6月20日、詳しくは自治体問題研究所編集部『社会保障の経済効果は公共事業より大きい』自治体研究所、1998年4月)。す ると、公共事業の場合は、生産への波及効果2兆8000億円、雇用機会の創出20万8000人、社会保障の場合は、生産への波及効果2兆7000億円、雇 用機会の創出29万人である。
 産業構造が高度化し、サービス産業に従事する人々の割合が圧倒的に多くなり、しかも高齢社会となった現代日本においては、公共事業よりも、社会 保障を充実させる経済政策の方が、きわめて有効である。憲法第5条の生存権を優先する社会保障の充実政策が、景気対策としても有効な時代が訪れている、と いえよう。

5.  マネーゲームの舞台国債市場

 経済成長と景気対策のための公共事業は、その効果がきわめて疑わしいにもかかわらず、その財源として、依然、国債が増発されてきたのは、別の動機が存在する。それは、国債という金融商品そのものを求める各方面の金融ニーズに応えてきたからである。
 というのも、国債は、安全で、信用度の高い金融商品にほかならない。国債の発行元の政府は、民間の株式会社のように倒産するリスクもなく、利子 は定期的に遅滞することなく予算の中から支払われるからである。日本政府は、金融の自由化・国際化を推進する切り札として、内外の投資家に国債を供給し、 金融市場の膨張と活性化に貢献してきた。
 実際、国債市場の膨張、その金融市場としての影響力はすさまじく、国債の売買高は、わが国の統計史上、はじめて「兆」の単位を超越して、「京」 の単位を記録した。直近の2007年度の国債売買高(東京店頭)は、1京2323兆円(これに国債先物売買高2806兆円を加えると、総国債売買高はほぼ 1京5000兆円)に達している(日本銀行調査統計局『金融経済統計月報』2008年11月号)。
 国債売買市場は、他に例のない超巨大金融市場であり、内外のマネーが一瞬の価格変動をねらって超短期の売買を繰り返すマネーゲームの大舞台に なっている。銀行や証券会社などの金融機関、内外の投資家は、増発されつづけた国債によって大きなビジネスチャンスをつかんだのである。
 まさに、「財政赤字の一方的拡大こそが、新市場の発達、金融機関業務のあらたな展開、短期オープン市場の発達、金融商品の開発競争など、金融 『革新』と金融活況とを同時に進行させた直接の、そして最大の要因であった」(久留間健・山口義行・小西一雄編『現代経済と金融の空洞化』有斐閣、 1987年、24ページ)といえる。
1970年代の半ば以降、日本経済は、それまでの高度成長経済を脱し、低成長経済に移行した。実体経済が低迷する中で利益を確保しようとするに は、先行するアメリカのように、金融ビジネスを育成、拡大していくことになる。事業会社も、本業の物づくりだけでなく、副業として財テク・マネーゲームに 参入するようになる。トヨタ自動車は、財テク・マネーゲームによって金融収益を追求する「トヨタ銀行」の顔を持つようになる。
 経済のグローバル化、金融化を推進するアメリカは、公的金融システムに封印された郵貯・年金マネーをねらって、「金融開国」を迫り、わが国の金 融自由化・国際化が加速する。さらに、1990年代の半ばになると、日本の金融システムをアメリカと同じようなシステムに改革するよう「金融ビッグバン」 を迫る。2001年にこの金融ビッグバン改革が予定通り終了したとき、51番目の「ニッポン州」が誕生し、アメリカの金融機関、ファンドなどが大挙して日 本国内に流入し、日本市場のウインブルドン化が進展してきた。
 政府によって増発されつづけ、天文学的な規模にまで累積した国債は、今日に至るこのような一連の流れと「金融大国日本」に道を開き、かつ促進し てきた、といえる。もはやここには、国の義務として定められているはずの国民の生存権(憲法第25条)への眼差しはなく、金融資本と投資家の致富行動への 国の従順な追随があるだけである。

6. 民営化株式の発行と株式市場バブル

 「金融大国日本」に道を開き、かつ促進してきたのは、国債市場だけでない。NTT株式の発行など、国有資産の民営化による民営化株式の大量発行 は、国庫に新しい収入をもたらしただけでなく、わが国株式市場の膨張と活性化に貢献してきた。民営化株式の発行は、国庫への資金の供給と株式市場の活性 化、といった一石二鳥の国策であった。
 財政赤字が深刻化し、債務返済の財政資金が枯渇化し、国債償還のための財源すらおぼつかなくなると、新しい財源を求めてさまざまな政策が発動さ れてきた。平成元年(1989年)に新たに導入された消費税は、その後税率を5%に上げることで、国庫にほぼ10兆円の新たな税収をもたらしている。
だが、このような増税以外に、各種の国有財産が売却され、その売却代金が国庫に納められている。日本電信電話公社や国鉄などの民営化株式の売却 は、1985年度から2004年度までの累計で、国庫に31兆3000億円の莫大な収入をもたらしてきた(『日本経済新聞』、2005年9月3日)。
 民営化株式の先陣を切ったNTT株式は、1987年1月から3回売却されたが、政府はこの3回のNTT株式の売却で、ほぼ10兆円の株式売却代 金を調達できた。それだけではない。NTT株式の発行は、いままで株式市場に全く縁のない個人を、株式市場に誘い込む上で大きな効果を発揮した。なんと いっても政府の売り出す株式だから、安心して株式投資が出来る、といった風潮が育成された。証券会社は、抽選となったNTT株式の販売をめぐって、短期間 のうちに、延べ人数ほぼ1000万人の顧客名簿を整備できた。政府のNTT株式の発行は、「1億総投資家」のバブル時代を牽引した。
 民営化株式の発行は、証券市場の育成と新たな金融商品の供給、「貯蓄よりも投資」を推奨する国策的な意図を持って推進されてきた。だが、株式市 場から財政資金を調達しようとすると、本来安定的な財政運営が、本来不安定に価格の変動する株式市場に依存するようになり、国庫の資金繰りが株価の動向に 振り回される新しい問題、「株価連動型財政」といった問題を抱えこむことにもなった。

7. 超金融緩和政策と銀行救済・国債大量発行

 世紀の転換点に採用された、歴史上例をみない超金融緩和政策(ゼロ金利政策、とくに量的金融緩和政策)は、深刻化する財政赤字をさらに悪化させ る一方で、国債市場をバブル市場に転換させた元凶であった。「デフレからの脱却」という名目で、日本銀行を時の政府に従属させ、政府の失政の責任を中央銀 行に転嫁させた政策でもあった。
 つまり、こうである。「デフレ不況」は、日本経済にマネーが充分供給されないためである。だから、物価の下落と不況の深刻化を阻止するために、 日本銀行は、他に例をみないような超金融緩和政策を採用せよ、と政府は日銀総裁を国会に呼びつけて叱咤激励しつづけた。その方法は、日本銀行が民間銀行の 保有する国債などを大量に買い取り(国債買いオペレーション)、その買い取り代金をそっくり銀行に供給し、民間銀行の下に使い切れないほどのマネーをプー ルする。そして、民間銀行は、その潤沢すぎるマネーを、企業に低金利で大量に貸し出すなら、企業活動は活性化し、物価も上がり、日本経済はデフレ不況から 脱却できる、というものであった。
 だが、この政策は、現実によって否定され、誤りであることが証明された。実際、「デフレ不況」から脱出できなかったし、インフレを起こそうとする政府の意図に反して、物価も上がらなかった。
では、なぜ、このような結果になったのか。「デフレ不況」の原因は、マネーが不足したからではないからである。不況の真因は、1998年以降、 賃金が何年間も連続して切り下げられ、さらに従業員の解雇と失業が広がり、生活防衛のために国民は財布の紐を固くし、消費支出がマイナスを記録しつづけた からである。つまり消費不況が、政府のいう「デフレ不況」の真因だったからである。
 だから、不況から脱出するには、賃金カットを止め、リストラを止め、まさに国民の生存権を擁護するためのさまざま政策を展開する必要があったのに、こうした政策は行わなかっただけでなく、毎年、社会保障費をカットしてきたからである。
 また、物価が下がりつづけたのは、マネーが不足(マネーサプライの不足)したからでなく、国民の消費支出がマイナスになり、各種の財やサービス に対する需要が激減したことに加え、「世界の工業」に成長した中国などから、安価な商品が大量に輸入され、円高と相まって、日本の国内物価は下押しされつ づけたからである。
 そもそも物価の下落は、国民生活には多くのメリットをもたらすので、物価がマイナスに陥ることを阻止し、プラスに転化するまでマネーを供給するといった超金融緩和政策に踏み切ること自体が、国民の生存権を脅かす政策であったといえよう。
では、どうしてこのような超金融緩和政策が発動されたのか、その真のねらいは次のような新聞記事が語ってくれる。
 すなわち、第1に、不良債権に悩む民間の「銀行にとって量的緩和がつづく限り日銀はいつでも国債の買い取りに応じてくれるという安心感がある。 また金利の低下局面では、日銀の買い取り価格は当初の取得価格を上回る可能性が高く、その場合には売却益も確保できる。量的緩和により銀行部門はいわば継 続して補助金が与えられてきたようなものである。」(『日本経済新聞』、2003年12月16日)。
 第2に、日本銀行の国債買いオペレーションによって供給されたマネーは、不良債権化するリスクを懸念した銀行の貸し渋りによって、企業には貸し 出されず、不良債権化するリスクのない国債投資へと大挙して向かっていった。銀行は、毎年、ほぼ30兆円をこえて発行されつづけた国債の大量の買い手と なった。
銀行が国債を買い支えてくれるので、政府は、大量国債の消化基盤を持ったことになる。超金融緩和政策は、銀行救済と国債大量発行を真の目的にして発動されたことになり、それはまた、「財政赤字大国」への転落に道を開く結果をもたらした。

8. 企業国家・軍事国家・福祉国家—予算配分の国際比較 

 どこからマネーを取って、どこに配分したかを示す予算は、その国の経済社会が何を重点にして営まれているのかを映し出す鏡である。よき新年を迎えるには、個人の生活だけでなく、安定した社会生活を実現できる財政的な裏付けが不可欠である。
 周知のように、憲法は国家や国を縛り、法律は国民を縛るといわれるが、国民の生存権を明記した日本国憲法(第25条)は、つぎのように明記して いる。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び 増進に努めなければならない。」と。
 わが国は、このような生存権を保障してきただろうか。昨年末、わが国を代表するような大企業の多くが、売り上げ不振と経済不況を理由にして、従 業員の大量解雇を行った。安心して正月の越せない数万人の人々が、寒空の下に投げ出されてしまった。はたして、これが世界有数の経済大国といえるのだろう か。国民の生存権を保障するような財政運営の先行事例はあるのか、そのことがいま問われている。
 そこで、最後に、わが国もそこに所属している先進工業国5カ国の財政運営を比較しておく。同じように市場経済システムを採用している5カ国であっても、どこに予算を重点的に投入しているかによって、ほぼ3つのモデルに区分できる。
 第1のモデルは、企業中心社会日本のように、もっぱら経済成長を最優先する財政運営を行っている「企業国家」モデルである。第2は、国家予算の 3割近くを軍事費に向けるアメリカのような「軍事国家」モデルである。そして第3は、社会保障や福祉に重点的に予算を投入するドイツ・フランスのような 「福祉国家」モデルである。
 すでに高齢社会に突入しているわが国は、いままでのような「企業国家」モデルのままでいくのか、それともアメリカの従属的な国としてアメリカの 外圧に応えて「軍事国家」モデルに踏み出すのか、あるいはまた経済規模は日本の3分の2以下であるけれども日本国憲法第25条でいう生存権を優先させるド イツ・フランスのような「福祉国家」モデルに方向転換するのか、わたしたちは、いま、その選択を迫られているようである。

(やまだ・ひろふみ)
(『税経新報』No.562 2009年1月号)


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